智子[友人]


(以下のストーリーはこのSSの作者の解釈によるものです)
 高校生藤田浩之は、幼なじみである神岸あかり佐藤雅史。達と、ごく普通の日々を送っていた。
 浩之が二年生になったとき、神戸から来たという保科智子が同じクラスとなる。自尊心と独立心の強い彼女の性格は周囲からの反発や嫌がらせにつながるが、時として強い行動力を発揮する浩之は、それらの問題を解決してしまった。
 そんな中、智子が故郷にいた幼なじみの二人が恋人同士になってしまった事で深く傷つく。つまり、三人の幼なじみグループのうち、智子が邪魔者になっていたと言うことだ。
 浩之はそれを智子から聞くことになる。浩之が智子を慰める中で、二人の恋心ははっきりしたものとなった。
 そして一年が経った。

(以下の文章の関西弁を添削して下さる親切な方は、掲示板の方へお願いします…)
「で、どこ行くん?」
「そうだなぁ」
「こういうのは、浩之が一番詳しいんじゃない?」
「私もそう思うよ」
 学校帰りの昼下がり。ぽかぽかとした陽光に照らされて、四人の高校生が桜の花びらが舞った後の坂道を下っていく。
「んな事言われても、普通にいつも行ってるとこ行くだけだぞ?」
「浩之ちゃんの普通だったら、きっと大丈夫だよ」
「せやなぁ、藤田君にまかせとこか」
「じゃあ、僕もそれでいいよ」
 仲の良い人間が四人で歩くときの常として、浩之達は2×2の列を作っていた。前に浩之と智子。後ろにあかりと雅史。だが、会話が二つに分断される事もなく、楽しいおしゃべりが絶え間なく続いているようだった。
「春物だろ?春物なぁ。みんな、何が欲しいんだ?」
「うーん。私は、あんまり思い浮かばないけど…」
「僕も」
「やっぱ、普通にTシャツと違うか?」
「無難だけどな。やっぱそうなるか」
「そうだね。私も、Tシャツなら欲しい」
「まだ4月になったばっかだろ?薄手のジャケットとかあってもいい気がするけどな」
「ジャケット?」
 あかりが、少し的の外れたような表情を浮かべる。
「私、そういうの似合わないと思う…」
「ジャケットって、あかり、どんなの想像してんだ」
「えーと…」
「たぶん、間違った想像してるぞ」
「間違ってるってな、藤田君もう少し具体的に説明しぃや」
「ベージュとか、白とか、そういうのでしょ?ぺらぺらした。だったら、あかりちゃんにも似合うかもね」
 雅史がフォローを入れる。
「ぺらぺらしたって、なんか安っぽいな」
「私、佐藤君の説明で雰囲気つかめたけどな」
「別に、俺は説明のつもりで言ったんじゃねーし」
「まぁまぁ、浩之ちゃんの思ってるの、私もよく分かったから」
 あかりはいつの間にか仲裁役になっていた。この四人が集まると、いつも話の流れがあちらこちらと迷走するのだ。四人とも仲裁役になれるというのは、かえってまとまらないのかもしれない。もちろん、常に誰かが仲裁に回れるのだから、本気でいさかいを起こす事など起こらないというメリットは大きいのだが。
「じゃあ藤田君、案内頼むで」
「だから、いつものとこだって。みんなも行ったことあんじゃねーのか?」
「どうかな。私はあんまり、そういう所行かないから」
「確かになぁ。制服で過ごせる時間が長いと、やっぱりな」
 智子は中学時代、私服の私立だったのだ。
「僕は、土日も部活行ったり家族で遠くに出かけたりしてたからね。そういうのは、母さんとかと買いに行っちゃうことも多いかな」
 まるっきり小学生の台詞を、悪びれもせずに雅史は言う。
「別にいいけどな。じゃあ駅行くぞ」
「うん」


 30分後、浩之達は近くの駅から各停で3つ乗ったところの、特急停車駅に来ていた。四人はエスカレーターに乗ってホームから改札に向かう。
「こっちなん?もう一個乗るんかと思ったけどな」
 智子は、さらに一駅進んだところにある、JRとの連絡駅を考えていたようだった。
「ああ。俺はいつもこっちなんだ」
「お母さん達と、買い物とかはよく来るけど…」
「僕も。服買ってるの、ここの駅ビルだよ」
「駅ビルじゃないだろ。れっきとしたデパートじゃねーか」
「そうなの?」
「雅史、発想が少し単純すぎるぞ」
「駅にくっついてるんだから、駅ビルで間違いないやろ」
「駅ビルってのは鉄道会社が自前で作るやつだろ。違う会社が作ればデパートだ」
「それおかしいわ。じゃあ、新宿の小田急とか京王は駅ビルか?」
「ん?あ、あれは、あ、そうか」
「藤田君、いい加減なこと言わんといてや」
「ちょっとした勘違いだ。悪い」
「ねぇ浩之ちゃん、後ろ見ないと、もうエスカレーター終わるよ」
「うあっ?」
 慌てて浩之が後ろを振り向く。エスカレーターの終わりまでは、まだ5秒くらいありそうだった。
 かと言ってわざわざ文句を言う気にもなれないのか、浩之はむっとした顔をしながら前を向く。
「まぁ、デパートでも駅ビルでもいいわ。そこ行くん?」
「…そうだな。まずはそこって思ってたけど」
「『まずは』ってことは、いくつか見つくろってあるんやな」
「一応。いつも行ってるとこを三つ四つ回るつもり」
 浩之達は順番にエスカレーターから下りていく。
「あ、浩之、デパートとかだと男物と女物が別になっちゃうんじゃない?」
「忘れてた。いつも通りだけじゃダメだな」
「藤田君の考えてたの、デパートだけじゃないやろ?そっち行けばいいやん」
「まぁな。デパートみたいので考えてたのは、ここだけだったし」
「どの出口から出ればいいの?」
「えーと…じゃ、北口から」
 浩之達はまっすぐ歩いていく。広い駅の構内には、浩之達と同じような制服の集団が結構多かった。それ以外の人間は、あまり多くない。東京郊外の平日の午後は、どこでもこんなものだろう。
「人、多いね」
「そうか?そんな多くもないだろ」
「制服着てるのが多いからやろ。高校生がたむろってるってだけで、ごちゃごちゃして見えるんと違うか」
「俺達もそうなわけだな」
「当たり前や」
「電車の中とか、うるさくし過ぎたかな…」
 あかりが、少し心配そうな声を上げる。
「あんなん、どこでもやってる事やろ。時間と場所が違えばオバハン連中やおっちゃんがうるさくしてるやないか」
「でも、いいんちょはやっぱ目立つぞ。関西弁のイントネーションだけで」
「仕方ないやん。公共の場では標準語使うんか?NHKやあるまいし」
 智子はポケットからキップを取り出しながら言った。改札についたのだ。
 ガチャ。ガチャ。…ガチャ。
 三回続けて自動改札を通る音がする。最後のは雅史のパスネットだ。
「あかりー、何やってるんだ」
 浩之は改札の中でうろたえているあかりに言う。
「ごめん、キップ…」
「ポケットか財布にないんか?」
「うん、ないの…」
「鞄の中とかは?あかりちゃん、確か財布を取り出すときに鞄開けてたじゃない」
「違うの、財布を出した後は一度も開けてないから」
「手の中はどうだ?」
「え?」
 浩之の指摘に、あかりは閉じていた左手を開く。
 果たして、そこには少しひしゃげたキップがあった。
「あ…ごっ、ごめんなさいっ」
 顔を真っ赤に染めて、あかりは自動改札にキップを通した。
 ガチャ。
 変形したキップも、無事改札を通る。
「ご、ごめんなさい…」
 ぺしっ。
 浩之はあかりの頭を軽く叩いた。
「期待を裏切らなさすぎるんだよ、お前は」
「浩之、良く分かったね」
「ずっと前に同じような事あった気がしてな。学習しろっつーの」
「ごめん…」
「ま、いいやん。藤田君、どっち?」
「歩道橋下りて左。ったく」
 歩き出した浩之達に、あかりは少しうつむき加減のままついていく。
「この辺、僕はあんまり来たことないな」
 雅史はアーケードの商店街から一本路地をずれたところで、そう言った。
「そうか。結構面白いと思うぞ」
 色々としゃべっている間に、店にすぐついてしまう。
 普通の服がいろいろと置いてあるといった感の店だった。Tシャツやジーンズからパーカー、帽子といったところまで揃っている。
「ねぇ、このジャケット、480円って書いてるよ」
「わ、ほんまや。別に普通の服やん。藤田君、これ買わんの?」
「勘弁してくれよ、中地がミリタリーだろ」
「藤田君、嫌いなんか?」
「趣味じゃない。しかも、表面が普通で内側が迷彩って、絶対謎だぞ」
「ふーん…」
 あかりが神妙な顔で納得する。
 浩之は980円均一で並べられた半袖Tシャツを漁り始めていた。
「浩之ちゃん、丁寧に畳まないと、お店の人かわいそう」
「大丈夫だって。向こうもそれが仕事なんだから」
「せやな。こっちは客や」
 智子も浩之と一緒にTシャツの棚を探り始める。
「でも…」
 あかりは未だ納得できていないようだったが、浩之達と同じように並べられたTシャツを順番に見始める。雅史もそれに続いた。
 10数枚ずつ積まれているTシャツを、あかりは上から順番に手に取り、広げて見ていく。それから、元と同じ形に綺麗に畳み、Tシャツの隣の山に乗せる。
「なんか、あかり、店員みたいだな」
「え?」
「服見てるっていうより、整理してるって感じ」
「そ、そうかな?」
「生地の色だけでダメそうなのは分かるだろ。そんなの広げなくていーじゃねーか」
「浩之ちゃん、そんなの分かるの?」
「神岸さん、そんな大げさな事やないで。私ならピンクとかイエローとか、そういうケバいの弾いていくだけや」
「あかりちゃんなら、そういう色も似合わない事もないんじゃないかな?」
 おざなりにTシャツを探っていた雅史が言う。
「かもな。まぁ自分で見て見ろよ。こんだけあるの、お前のスピードじゃ全然終わらないだろ…ってあかり、いい加減崩れるぞ?」
「え、何が?」
 あかりはTシャツの方に視線を戻す。10数枚あったTシャツの山は2、3枚まで減っていた。その分のTシャツは隣の山に積まれているのだから、当然30枚近く積まれたTシャツの山が出来ている。
「あ、あっ」
 慌てたあかりは、Tシャツの山を押さえようとして逆に揺さぶってしまう。
 ばさっ。
 大きな音が立った。
「あーあ…」
 浩之が呆れ声を出す。
「ごめんなさい…」
「誰に謝ってるんだよ。拾うぞ」
「…うん」
 四人はしばしTシャツ探しの手を止め、狭い床に散らばったTシャツを黙々と片付けた。
「ごめんね、みんな」
「あかり、これいいかもな」
 謝るあかりを無視して、浩之が言う。
「え、何、浩之ちゃん」
「このTシャツ」
 浩之の手には、一枚のTシャツがあった。
 スヌーピーの漫画がプリントされた、ライトブルーのTシャツだ。
「これ?」
「藤田君、少し子供っぽすぎやせぇへんか?」
「いや、これと…」
 浩之は辺りをきょろきょろと見回してから、何かを探しに歩き出す。残りの三人は、ぞろぞろと浩之の後をついてった。
「あ。こんな感じ」
 浩之が立ち止まる。そして、ハンガー吊りに掛けられた服の中から、一枚の黒いカーディガンを取った。首の部分にさっきの水色のシャツを突っ込む。
「あかり、こっち来い」
 ハンガーから外さないまま、浩之はカーディガンをあかりの身体に当てた。
「…へぇ。いい感じになるもんやな」
「うん。バランス取れていると思うよ」
「そう?」
 あかりは下目使いで、制服の上から合わせられたカーディガンとTシャツを見る。少し恥ずかしそうだった。
「自分で見て来いよ」
 浩之はあかりにハンガーを手渡す。
 あかりは近くにあった鏡の前まで行って、自分で合わせてみた。
「可愛いね」
 あかりが言うと、いわゆる「カワイー」ではない。ごく普通に、優しい魅力を感じている事を示す言葉になる。
「多分、このカーディガン混紡だけどな。こういう感じにすれば、安っぽすぎないし、かっちりし過ぎないと思うぞ」
「うん…ありがとう」
「いいなぁ。これ1980円やで。これ単独で着ても、私なんか似合わへんからな」
 智子はハンガー吊りの中の服を見ていた。
「あかり、サイズは大丈夫なの?」
「大丈夫みたい。TシャツはSで、カーディガンはMだけど」
「メンズとレディースだからだろ。サイズ合ってたか、偶然だな」
「良かったやないか。あそこからサイズ違い探すの大変やで」
 さっきの980円Tシャツは、特に柄や色で区別されることなく、ただただランダムに置かれていたのだ。探すのが好きな人間への配慮か、店員の横着なのか、どちらかは不明だが。
「これくらいだったら、おこづかいから普通に出せるし。良かった」
 あかりは微笑む。
「あ、雅史、これどーだ」
「僕?」
「これこれ」
 浩之は、さっきのTシャツと同じように積まれているパーカーの山から、一番上にあるグリーンのを取った。
「みどり?」
「いいから、合わせてみろって」
 ちょっと嫌そうな顔をする雅史に、浩之は広げたフーテッドパーカーを押しつける。
「どうだ?」
 女の子二人を方を向いて、浩之は感想を求めた。
「意外や。意外やけど、似合う」
「雅史ちゃん、可愛いよ」
 あかりはくすっと声を漏らす。さきほどの「可愛い」とは、またニュアンスが違った「可愛い」だ。
「だって、こんな原色の?」
 三人の賞賛に反して、雅史が抗議を試みる。可愛いと言われた事への、ちょっとした反発もあったかもしれない。
「いや、普通に街で見かけるだろ。こういうの。似合ってれば問題ない」
「変ではないで。普通に似合っとる」
「ていうかお前はガクランなんだから、実際に着てみろよ」
「えー…」
 しぶしぶ、といった感じで雅史が学生服を脱ぐ。
「ほら」
 浩之が渡したパーカーを雅史は頭から通し、もごもごと着た。
「どうだ?」
 浩之が目の前にあった鏡を指す。
 雅史は跳ね上がった髪の毛を直しながら、自分の姿を見つめた。
「ほんとかなぁ。これ」
「ほんとほんと。絶対に買いだ」
「これも安いで。さっきと同じ、1980円や」
「なんか、騙されてる気がするんだけど」
 そう言いつつ、雅史はパーカーを脱いだ。
 浩之が持っていた学生服を受け取り、一個ずつボタンを留めていく。
「5月くらいになったら、もう暑くて着られないんじゃないの?」
 雅史はまた跳ね上がってしまった髪を気にしつつ、言った。
「いいんだよ。今着られれば」
「雅史ちゃん、秋にも着られるし、大丈夫じゃない?私は可愛いと思うよ」
 可愛いを連呼されて、雅史は少し困っているようだった。だが、それに反論するような性格ではない。
「あとは、どうしようか?」
 雅史はそう言って話題を変える。
「そうだなぁ…」
 言いながら、突然、あかりと雅史に見えないように、浩之が智子の手に触れた。
 智子が浩之の手を握る。浩之が握り返す。二人は刹那の間、密かに手をつないだ。
「どうするかな」
 浩之は何事もなかったかのように手を離し、ゆっくりと歩き出した。智子もそれに従い、雅史とあかりもすぐについてくる。
「私は、これでいいよ」
「僕も」


 結局四人はその後、チェーンで展開しているカジュアル系の服屋に行っただけだった。
「浩之ちゃんが見てくれるんだし、さっきのお店だけで十分だったかもね」
 ヤクドナルドでの会話も、そんな感じになる。
「自分でもどういう服が着たいのか考えろよ。服選びってそれを楽しむもんだろ」
「うーん…大変そうだね」
「苦労にしてどーするんだよ」
「でも、私は浩之ちゃんと服屋さんに行くだけで楽しかったけどな。雅史ちゃんもそうだったよね?」
「え…あ、うん」
 少し躊躇があったが、雅史は首を縦に振った。
「いや、佐藤君のあれ、誰も冗談で言ってたわけやないよ。藤田君の目、なかなかのもんや」
 そんな風に、四人は和やかな雰囲気で長めの放課後の時を終えていった。
 智子以外の三人は、家のすぐ近くまで一緒に帰ることになる。三人にとっては、何年間も繰り返されてきた事だ。3年になって雅史の部活が終わった事もあり、むしろ最近は増えたと言っていいかもしれない。
「じゃあね、また明日」
「ああ」
 まず雅史と別れ、
「それじゃあ、浩之ちゃん。今日はありがとうね」
「いいって。今度着てみろよ」
「うん」
 あかりが服屋の袋を大事そうに抱えて帰っていく。
 そして浩之は誰もいない自宅に帰った。両親の仕事は未だに忙しく、まだ帰ってこれる様子もない。それが一年も続けば、一人暮らしの方が当たり前になってしまう。
 ピンポーン。
 浩之が自宅に帰ってから1時間後。玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
「私や」
 がちゃ。
 浩之はインターホンの受話器を置いて、玄関に向かう。
 かち。がちゃり。
「来たわ」
「ああ」
 当然のようにして、二人は話す。智子は慣れた様子で靴を脱ぎ、藤田家に上がった。
「ご飯、どうした?」
「まだ食ってないけど…あんま食欲ないな」
「私もや」
「紅茶なら飲むか?」
「もらう。ありがと」
 二人は居間に入った。浩之はそのままキッチンの方に歩いていく。智子はソファーに、どっ、と座る。眼鏡の奥の瞳はあまり焦点が定まっていなかった。蛍光灯のヒモを見ているような感じだ。
 しばらくすると、浩之が湯気の立つマグカップを二つ持って居間に戻ってくる。
「…あ。ありがと」
 智子は未だ焦点がうまく定まらない瞳で、浩之を見た。
 とん。とん。
 テーブルの上にマグカップを置いて、浩之は智子の向かいのソファーに座る。
「今日は悪かったな。服の一つも見てやれないで」
「ううん、仕方ないやろ。あの状況やからな」
「今度二人で行くか?あの店でもいいし、別の店でも…」
「藤田君」
 智子が遮る。
「たぶん、私、大事な話せなあかん」
「いいんちょ…」
 浩之が少し顔を曇らせた。
 智子はマグカップに手を伸ばし、中のミルクティーを、くっ、と飲む。
「どういう風に話せばええんかな…」
 浩之は少し伏せた智子の目を見つめて、それからマグカップを持ち上げる。だが口にはつけず、中途半端な位置で止めていた。その状態で浩之は静止する。
「大事な話、か」
 浩之はぽつりと言った。
「そう、大事な話、や」
 智子はマグカップを傾ける。それを見て、浩之もゆっくりとマグカップを口につけて、同じくらいゆっくりと中身を飲んだ。
「大事な話だろうな」
「大事な話や」
 二人の会話は一箇所に淀んで進まなかった。
 それは、確かに淀んでいたと言って間違いないのかもしれない。二人の一年間の関係の中で生じてきた少しの澱(おり)。最初のうちは意識にも上らなかった程度のものだ。
「ま、こうしててもはじまらんな。うまくまとまらんと思うけど、言いたいように言うわ」
「…ああ」
 少しだけ躊躇して、浩之は答えた。
 沈黙が下りる。智子は瞳を閉じ、たっぷり1分間考えた。
「藤田君、神岸さんはあのままでいいんか?」
 少し弱々しい、でも決意を持った言葉だった。そして智子は瞳を開く。
 今度は浩之が瞳を閉じた。
「つきあい始めた最初の頃は、私、この事言うのが怖かったんやろな。でも、つき合い長くなるうちに、神岸さんも藤田君も了解してると勝手に決めてたんや。けど」
 浩之は何も言わない。
「違う…それは、絶対に違う。私のエゴや。神岸さんが了解してるなんて、私が藤田君を独占するための言い訳やわ」
 浩之の唇が少し動きそうになった。智子は言葉を止めて、浩之の言葉を待つ。
 しかし、なかなか浩之の言葉は生まれず、やがてまた口を閉じてしまった。
「…ここ1ヶ月くらい、ずっと考えてたんや。私が藤田君と恋人同士でいいんかって」
 智子が、絞り出すように言う。
「もちろん、もちろん、私は、絶対に藤田君が好きやけど…」
「俺もだ。俺も、いいんちょが好きだ。それは誓える」
「でもな、私の好きって感情でどんどん傷が広がっていくんや…。神岸さんに対する同情とか、そういう感情やないで。自分の問題や。他の人傷つければ、同じだけ自分も痛いんや…」
 そこまで言ってから、智子は「はぁ」とため息をついた。ミルクティーをぐいっと飲む。
「つまりは、そういうことや」
「あかりは…」
 浩之は言う。だが、それ以上の言葉がつなげられなかった。
「神岸さん見てると、いたたまれないんや。今日も」
「今日?あかりが二回もドジして、あかりの服選んでやっただけだろ」
「表面上は、それだけやけどな。あの人が何かする度に、内側に押し込んどる気持ちが見え隠れしとるんや」
 智子ははじめて、はっきりとした悲しそうな表情を見せる。
「実際、私なんか片想いしてる人間がダメになったから、その傷をふさぐために藤田君にすがったみたいなもんやからな。完全に自分本意や。やらしいわ」
「恋愛なんて、多かれ少なかれ、そんな部分持っていると、思うけどな…」
 浩之が言う。だが、語尾に近づくにつれ、どんどん声が小さく弱くなっていった。
「藤田君のこときちんと見てるのは、間違いなく神岸さんや。私は自分が会いたい時に会っとるだけ。究極的には利用しているみたいなもんやろ」
「そう言ったら、俺も同じになるだろ?」
「突き詰めた時の話や。でもな、神岸さん見てると、そういう事思わずにはいられないんよ」
「いや、あかりは…」
 今度も言葉をつなげられない。
「もう私、限界来たと思ってるわ。そりゃ、神岸さんの気持ち完全にはわからんけどな。それよりも、自分の中で矛盾が大きくなりすぎて、どうしようもないんや…」
 浩之は迷った。
 智子に対する愛の感情は確かに存在していたが、あかりに対するそれは、はっきり言って浩之にとってブラックボックスだった。
 智子は知ってか知らずか、そのブラックボックスを開ける事を浩之に要求している。いや、聡明な智子のことだから、全てを把握して言っているのかもしれない。だが、智子の論理は間違いなく誠実だった。
 そういった思考と不安感が、浩之の意識をひゅんひゅんと掠めていく。
 しかし、目の前に事態がはっきり示された時には、浩之は誤魔化すという事が出来ない人間だった。
「…分かったよ、いいんちょ。だから、頼むから、一人で背負いこまないでくれ」
「別に私一人で背負ったつもりはないんよ。これから、藤田君もがんばらなあかんのやで」
 智子が少しだけ顔を上げて、微かに笑みを浮かべた。
「じゃあ、今日は最後の日やな」
 その顔に迷いは無かった。いや、焦燥感はあっても、最初から迷いなど無かったのかもしれない。
 彼女は強い。17歳の少女とは思えないほどに。
「私の身体に、想い出作ってや」
 智子はすっと立ち上がる。
「バスタオル、いつものところな」
「うん」
 智子は脱衣所の方に消えていった。
 それから、浩之は少し自己省察に励んだ。これまでの自分の態度が、智子やあかりに与えた痛みについて。これからあかりにどうしていくべきなのかについて。思考停止をしていた可能性について。
 それらを経れば、当然のようにかなり深い自己嫌悪と不安に襲われる事になる。だが、浩之はそういった物を決して外に出すことはしなかった。家族に対してであろうと、友人に対してであろうと。
 浩之にとって、自分本意の愚痴というものは最も醜悪に感じられるものの一つだったのだ。「依存」や「利用」よりも、ずっと。


「んふぅ…」
 浩之と智子の舌が絡む。
 智子がずるっと無遠慮に舌を差し込むと、浩之もこねくり回すような動きでそれに応えた。智子が浩之の上顎をくすぐると、浩之はその舌の先端を優しくくすぐる。
「ぷはっ」
 先に離れたのは浩之だった。
 上体を起こして、口元をぬぐう。智子の身体にまたがった姿勢だ。
 寝転がった智子の方は、少し物足りなさそうに口を半開きにしていた。
 浩之は再び身体を沈ませると、露わになっていた乳房に両手を当てる。かなりボリュームのあるそれを、浩之は指先だけでくにゅくにゅと揉んだ。
 乳房があまり大きく変形しない程度の力だったが、やがて先端部分がぷっくりと膨れ、ぽつぽつと粟立ち始める。それを見て、浩之は手の平全体でこねるような動きに変える。
 柔らかく弾力を持った智子の乳房は、しなやかに揺れ、震え、奔放に動き回った。浩之の愛撫は大胆だったが、ワンパターンではない。もみ上げる動き、ぶるんぶるんと転がす動き、じわっじわっと全体に圧力を加える動き。
 それに対して智子の感じている悦びは、つんと固く尖った先端によく表れていた。桜色をした性感帯を、唾液を含ませた浩之の舌がじゅぷっと舐める。
「んあぁ…」
 智子はもどかしそうな喘ぎを上げた。
 浩之は乳房全体への刺激をやわやわとしたものに変え、先端の部分を口唇で刺激することに神経を集中した。細く尖らせて、つんっとつつく。唇だけでくわえて、しごき上げる。舌先でれろれろと、執拗に舐め立てる。
 きめ細かく白い肌の上に、紅の桜色がぬらっとした光を帯びた。切なく痺れるような刺激に、智子は悩ましげな吐息を漏らす。
「いいか?」
 上気した智子の顔を見ながら、浩之は言った。
「ええよ…なぁ、そろそろ下の方も、ほしいわ…」
「ガマンできないか?」
「うん、私、ガマンできへん」
 浩之はふっと身体を落とし、智子の唇に軽くキスをした。
 上体を一度起こして、身体をずらす。智子の膝あたりにまたがる姿勢になった。当然、完全に体重は預けられないので、少し腰を浮かせる。
 極めて薄いパープルのショーツを、浩之は丁寧に脱がせていった。智子の秘めやかな部分が、少しずつ少しずつ見えていく。割れ目がほぼ全部見えたところで、浩之は脱がすのを止めた。
「な、なんでそこで止めるん?」
「いいじゃん」
「いやや、藤田君…」
 構わず、浩之は指を自分の唾液で濡らす。
 二本の指で叢(くさむら)をかき分けていくと、智子の性器が熱を帯びている事がよく分かった。
 浩之は少しだけ秘裂を割り開いて、指の先っぽだけを入れる。
「う…ん」
 それだけで、智子は反応した。
 熱い粘膜の感触をしばし楽しんだ後、浩之はもう少し指を深く入れる。そして、性器の内側を強くならないように注意しながら愛撫した。
 やがて唾液が足りなくなり、浩之は一度指を引き抜いてまた唾液で浸す。味はほとんど感じられなかったが、行為自体はエロティックだった。浩之はぺちゃぺちゃと指を舐める音を強調する。
「いや、藤田君、何してるん」
「いいんちょのを舐めてる」
「いややぁ…そんな事して、焦らさんといて」
「いじって欲しい?」
「…うん」
 浩之はべたべたに濡れた指を、また秘裂に当てて割り入れる。
「あん…」
 あまり大胆には動けなかったが、浩之はぬめりを使って智子の秘裂を刺激していった。撫でたり、軽く押し込んだりする動きが中心になる。
「どうだ?」
「もっと欲しいわ…もっと気持ちよく、なりたい」
「じゃあ、舐めてやるよ」
 じゅわっ。
 その瞬間、ショーツに液体のシミが広がった。
「うわっ」
「い、いややっ。藤田君、それきちんと下ろさんから」
「今、俺が舐めるって言ったから濡れたのか?」
「ち、ちがう…たまたまやん」
「インランだよな」
「ちがう、ちがうねん」
 心なしか、またシミが広がったように見える。
「お、下ろして、藤田君!替えないんや」
 浩之はにやにやしながら、ショーツをもう少し引きずり下ろした。そのまま、むしゃぶりつくように唇を智子の秘裂に押し当てる。
「はぅ」
 智子が息をのむ。浩之が舌で秘裂を割ると、智子はたまらず腰を動かして悶える。
「動いちゃだめだ」
「ご、ごめん、藤田君、急にするんやもん」
 浩之はヴァギナから溢れ出した愛液をすくい、あまり濡れていない部分に垂らしていく。舌先には、先程と違って酸味を帯びた誘惑のエキスがはっきり感じられた。
 段々と浩之の舌は大胆に動くようになる。
「ココ、大丈夫か?」
 浩之は舌を少し秘裂の上に移動させて、聞いた。
「え、ええよ」
 まず、舌全体をべったりと突起の上にくっつける。そして、ゆるやかに上下移動をさせる。
 智子が不快感を訴えないのを見ると、もう少し強く。半ば勃起していたクリトリスが、刺激を受けてどんどん大きく膨れ上がっていく。コリコリとした感触がはっきり分かるほどになると、浩之は舌全体ではなく、舌先での刺激に切り替えた。
 下から上へ、包皮を剥き上げるように舐める。
「あー…」
 安心しきっただらしない声が、智子の口から漏れた。
 何回も繰り返すと、包皮は剥けてクリトリスがむき出しになる。小指の先ほどもあるそこは、激しく勃起して刺激を待っていた。
 浩之はまたヴァギナの方から愛液をすくう。そこには、先程とは比べものにならないほどの熱い粘液があふれ返っていた。
「すごいぞ、ぐちょぐちょ」
「だ、だって、藤田君がそうしたんやないか」
「じゃあ、もっとそうしてやるよ」
 浩之はたらたらと愛液をクリトリスに垂らす。シロップをかけられたようなその突起を、浩之はおもむろに舐め上げる。
 智子の腰が、びくっとなるのが分かった。がっしりと両腕で智子の太股をつかまえ、浩之は幾度もクリトリスを舐める。わなわなっ、と智子の身体が震えても、構わずに。
「だめや!もう」
 浩之は深く智子の股間に埋(うず)めた顔を、一度上げた。
「一度イッてもいいぜ?」
「いやや。藤田君のでイク」
「…じゃあ、待ってくれ」
 浩之はトランクスを脱ぎ捨てる。
 そして、枕元に置いてあったパッケージを開け、ゴムを取り出した。慣れた様子でペニスの先につけたそれを、くるくると根本まで伸ばしていく。
「…立派やな」
 智子は寝転がったまま、屹立した浩之のペニスを評価した。なんとなく気恥ずかしくなった浩之は、素早く智子の身体にのしかかる。
 浩之はヴァギナの入り口にペニスを当てた。最初小刻みにペニスの先端を動かして、愛液に濡らす。
「行くぞ」
「来て」
 ぐぐっと浩之が押し込むと、ほとんど抵抗なくペニスが吸い込まれていった。
「かはぁ…」
 智子が余裕の無さそうな声を出す。
 何回か様子見の抜き差しをした後、浩之は本格的に腰の動きを開始した。
 ずんずんとペニスを突く度、智子の一番奥深くまで当たっている。経験の浅かった頃はあまり意味を持たなかったそれも、今の智子には深い快感を与える刺激になっていた。
 心なしか、いつもより締め付けが強い気がする。
「藤田君…私、すぐイッてまうかもしれん…」
「もうか?」
「藤田君は、まだまだやろ…」
「さすがにな…」
「ごめんな」
 智子はそう言って、浩之の抽送に身体をまかせた。
 浩之は判断に困ったが、女性にきちんとしたオーガズムを感じさせる義務を優先させることにした。前傾を強くし、激しく乳房をもみしだく動きも加える。そして今まで以上に抽送のスピードを速める。
「あ、あ、あ、あ、藤田君!」
 声を上げて智子が応えた。
 智子は目を閉じ、歯を食いしばるようにして絶頂を迎えるのを避けようとする。蹂躙するような激しい性交の中での表情だけに、それはひどく色っぽいものに見えた。
「だめやっ、私、もう、ごめん!」
 ぎゅうーっという、強い締め付けを感じる。長い長い締め付けだ。智子は苦痛とも愉悦ともつかない、切羽詰まった表情を浮かべる。
 その後、がくっと力が抜け、ヴァギナの締め付けは急に弱い物になった。
「良かったか?」
「うん…ごめんな…先にイッてもうて…」
「俺も結構いいぜ。すぐに出しちゃいそうだ」
「藤田君、口でしてあげるのとどっちがいい?」
「んー。このまんまでいいわ」
 やや抵抗感の無い智子の中を、浩之のペニスが往復する。
 智子は何とか締め付けを回復しようと試みているようだった。その甲斐あってか、浩之もほどなく限界に達する。
「俺も、そろそろ」
「うん」
 智子は必死で力を入れる。絶頂から大分経っていたせいか、かなりコントロールも出来てきたようだった。きゅっきゅっという規則的な圧力を感じる。
 そして、浩之は智子の中で果てた。
 ほとばしった液体が、ゴムの中に溜まるのがわかる。
「最後は、生でしたかったんやけどな」
「十分、良かっただろ?」
「そやな」
 それから、智子と浩之は長い長い口付けを交わした。


「それじゃ…」
 浩之は何と言ったものか迷ったが、玄関で靴を履き終えた智子にそう声を掛けた。
「これから、私も夜が寂しくなりそうやな。でも、神岸さんの方がずっと長い間一人で寂しく過ごしてきたんやで。幸せにしてあげなあかん」
「…ああ、わかった」
「あの人の事、高校生の時の簡単な恋愛相手とか考えたら、絶対に後悔するからな。私とは違うんや。そこんとこ、キモに命じとき」
「そう…だな」
「ま、言わなくても、藤田君ならそれくらい身体で分かってると思うけどな」
 智子の表情が和らぐ。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ、いいんちょ」
「藤田君…」
「なんだ?」
「結局、最後まで下の名前で呼んでくれへんかったな…」
 智子はふっと浩之に背を向けながら、つぶやく。
 かち。がちゃり。
「智子!」
「………」
 智子は背を向けたまま、ぴくっと肩を震わせた。
「それだけで、ええよ。それ以上は、言わんといて。そしたら、私、たぶん道誤るわ」
 押し殺した声だった。
 智子がドアを開く。外には、暗闇が広がっていた。
「じゃあな。神岸さん、幸せにするんやで」
 智子がドアを閉める。ゆっくりと、智子の姿が見えなくなっていく。
 浩之は動かなかった。
 がちゃん。
 そしてドアが閉じる。
 智子の前でも、一人になっても、涙は見せなかった。
 恐らく智子も同じだという確信を胸に、浩之は終わりを告げた一年間の恋愛を、ゆっくりと、ゆっくりと思い返していった。


「あかんなぁ。今度の週末、模試が入ってんねん」
「そうか、保科さんは予備校あったんだね」
「別に、今の段階じゃ土日は入れてへんけどな。今週は模試やから、どうしようもないわ」
「雅史は?」
「僕は、いつも通り家族と一緒。多摩だって。もう受験生だって、いつも言ってるんだけど…あかりちゃんは?」
「そうだね。みんなが来れないんだったら、また今度にした方がいいのかな」
「何、神岸さんも用事入ってるん?」
「ううん、私は特にないけど…」
「だったら行けばええやないの」
「でも…」
 あかりはちらっと浩之をうかがう。
 浩之は智子の方に視線をやったため、あかりと浩之の視線は奇妙にすれ違った。
「な、藤田君?」
「ん、まぁ、それでもいいかもな」
「神岸さんも、藤田君に選んでもらった服を着てくるいい機会やろ」
「うん、一度着てみたいとは思ってたけど…」
「だったら決まりや」
 そのとき、雅史が少しだけ智子に不思議そうな視線を向ける。
「私は、いつか佐藤君のパーカーと一緒に見せてもらう事にするわ」
「え?うーん、いつかね」
 雅史は曖昧に誤魔化した。