栞(長編) その2


 冷静に考えれば、祐一達が行為に及んでいる間、秋子が部屋に来なかったのは秋子の配慮によるものだったのかもしれない。いや、ドアの前まで来たがドアを開けなかったという可能性もある。
 なぜなら、一通り後始末も終え、抱きしめ合った身体も離し、二人で肩を寄せ合ってベッドに座っている時に、
 こんこん。
「あ…はい」
「祐一さん達、お茶はいかがですか?」
「えーと…頂きます」
「リビングにしますか?祐一さんの部屋がいいですか?」
「うーん、じゃ、リビングに行きます。アイス買ってきたんで、紅茶だけお願いできます?」
「わかりました」
 と、秋子が祐一達の部屋の前に訪れたからだ。秋子はドアも開けずに要件だけを聞いた。
「ありがとうございます」
 栞が礼を言う。そして、二人の座っている位置からややずれた所にある、点々としたピンク色のシミに目をやって頬を染める。
「…祐一さん、ごめんなさい」
「いや、別に謝るようなことじゃないって…ちょっと困ったけどな」
「…ええ」
 困っているのは栞も同じようなものだろう。まさかシーツをこっそり洗うわけにもいかない。だが、部屋の掃除に秋子が入ってくることを考えれば隠し通す事もできないし、名雪が部屋に入ってくる可能性も全くないとは言えない。
「大丈夫だよ…秋子さんはすごい人だから」
「でも、やっぱり…恥ずかしいです」
「そりゃ俺も同じだって」
「どっちもどっちです」
「…同感」
 祐一は苦笑しながら立ち上がる。栞も一緒に立ち上がった。
 栞がスカートを整えている間に、祐一がアイスの袋を持ち上げる。冬場にもドライアイスを入れる店員の配慮のおかげで、溶け始めたりはしていないようだ。
「…やっぱり、さっきより皺とか目立ちませんか?」
 栞が制服のあちこちを触りながら言う。
「いや、普通だと思うぞ…俺の目には」
「…祐一さんの目には、ですか」
「そんなに性能が悪い目じゃないと思うが…」
「ええ」
「栞を選んだ目だからな」
「ええ」
 多少冗談めいた祐一の言葉にも、栞は相槌を打っただけだった。困った顔をしながら、制服のかすかな皺を伸ばそうと努力している。
「…はぁ、覚悟を決めるか」
「…そうですね」
 栞も諦めたようだった。
「ホントは、まだ少し痛いんですけど…」
「我慢してくれ。頼むから」
「わかりました…」
 そして、部屋を出るとやや緊張した二つの足音がリビングまで続く。
 がちゃ…
 リビングのドアを開けると、ティーポットと2つのティーカップ、スプーンが待っていた。当然秋子も。
「アイスを食べるんだったら、ミルクやレモンはいらないかしら?」
「そうですね」
「ありがとうございます」
 栞が何とか他人行儀を装って言う。祐一は秋子の表情を読もうとしたが、そんな芸当が可能であるはずがなかった。
「二人とも、座ったら?」
『あ、はい』
 声が重なった。祐一と栞は顔を見合わせる。秋子はくすっと笑う。
「ははは…」
 祐一は乾いた笑いをしながら椅子に座った。栞はその向かいに座る。
 秋子が熱く湯気の立つストレートティーをティーカップに注いでいく。どこか手持ちぶさただった祐一がアイスの袋に手を伸ばそうとすると、栞の手とぶつかった。栞も手を伸ばしてきていたのだ。
『あ…』
 また声が重なる。祐一と栞の手が宙で静止する。また秋子がくすっと笑う。
「えっと、栞、どっちがいいんだっけ?」
「あの、バニラがいいです」
「あ、そりゃそうか。えっと、こっちか」
 祐一はカップを袋から取り出して、栞に渡した。そしてもう一つのラムレーズンを自分の席の前に置く。
「ゆっくりしていってくださいね」
 紅茶を注ぎ終えた秋子は二人を見ながら言う。
「はい」
「私は、部屋にいますから」
「わかりました」
 秋子はいつもと同じ笑みを浮かべてリビングから出ていった。
「…はぁ」
「…とりあえず、食べませんか?」
「そうだな」
 二人はアイスカップのフタを開ける。カップのサイズにちょうど合った、綺麗な丸形のアイスが行儀良く収まっている。
 栞はスプーンでアイスの端を軽くすくい、そのまま祐一の目を見た。
「なんだかな」
「ですね」
 秋子の洞察力より、二人の小心の方が問題なようだった。秋子が本当に見抜いているかどうかはあまり問題ではない。
 栞はスプーンをぱくっとくわえる。祐一は紅茶の方を口にする。
「やっぱり、おいしいです」
「ここのシュークリームを食べたことはあったけどな。なかなかうまかった」
「アイスも同じくらいおいしいですよ。祐一さんもどうぞ」
「ああ」
 祐一は大きくアイスをすくって口の中に放り込む。
「冷たっ…」
 舌でアイスを転がしながらのこもった声。
「大きく取りすぎですよっ、もったいないです」
 祐一は紅茶を飲んだ。口の中のアイスが一瞬で溶けて、ぬるいラム風味のミルクティーになる。
「ふー…冷たかった」
「そんなんじゃ、味なんてわからないです」
「いや、ラムの香りがなかなか良かったぞ」
「見るところが違います」
「見るんじゃないだろ、嗅覚だろ」
「アイスは五感で味わうものですっ」
「わかったような、わからんような…」
「とにかく、もっと味わって食べてください」
 栞は大切そうにバニラアイスのひとかけをスプーンに載せ、口に運ぶ。
「でも、アイスの味にうるさいのなら、いつも食べてるみたいな安いアイスとかまずいって思わないのか?」
 栞はこくんとアイスを飲み込み、ほんの少しの紅茶を口にしてから答える。
「あれはあれで懐かしさみたいなものもありますから…」
「懐かしさだけなのか?」
「もちろん、アイスというだけで好きなんですけど」
「具体的には?」
「冷たくて滑らかで甘いところです」
 栞はスプーンをぴこぴこと左右に振る。
「じゃあ、冷やしたホイップクリームでも喜んで栞はなめるのか?」
「そんなの想像したくないです、アイスだからいいんです」
「自分が好きなものの割にいい加減だな…」
「じゃあ」
 栞は頬を膨らませる。
「祐一さん、祐一さんがなんで私を好きなのか、『具体的に』説明してください」
 二重カッコの部分に思いっきり力が入れられていた。
「う」
「私の勝ちです」
「…はい」
 祐一は素直に従った。
 結局夕方になる前、名雪が家に帰ってくる前に栞は祐一の家を後にした。祐一は家まで送ろうとしたが、
「まだ、いいです」
 という飄々とした栞の言葉で遮られた。
「…じゃあ、また明日」
「明日は、お弁当を作ってきます。期待していてくださいね」
「アイスの天ぷらとかか?」
「違いますっ!…でも、私、一度食べてみたいとは思っていたんですけど」
「そうだな。どこで食えるんだろうな」
「それは今度考えましょう…とにかく、まずは明日のお弁当に期待してください」
「わかった」
「それじゃあ、祐一さん」
 祐一は栞が角を曲がるまで見送っていた。ちょうど角を曲がる所で栞は振り向き、祐一に大きく手を振った。


 次の日。祐一はとりあえず掛け布団を畳まず、ベッド全体を隠すような状態にして部屋を出た。
「名雪、早く行くぞ」
「まだ私、ご飯一口も食べてないよ…」
「一口で食べろっ」
「無理だよ…」
「俺なら可能だっ」
 ばくっ。
「わ…」
「もう一枚トースト焼いてきますね」
 秋子がキッチンに向かう。
「うー、祐一のせいで、時間が余計にかかっちゃうよ」
「そもそもの原因は名雪が遅いからだろ」
「ますます遅くなったのは祐一のせいだよ」
「すぐ焼けますよ」
「さすが秋子さん」
 掛け合い漫才をしている方が祐一にとって自然なようだった。秋子の前でも普段の口調や態度と変わっていない。
 目に見えるボロを出すことはなく、祐一は玄関までたどりついた。
「いってらっしゃい」
「時間は…」
「頑張って走ろうね」
「…ああ」
「あ、今日は天気がいいみたいですから、シーツを洗濯しますね」
「はーい」
「…お願いします」
 祐一は敗れたりという顔で玄関を出る。名雪は靴のかかとを気にしながら祐一の顔をのぞきこんだ。
「どうかしたの?祐一」
「なんでもないぞ」
 名雪にすら見破られては立場がない。いや、秋子の洗濯も場合によっては偶然の産物かもしれないのだが…。
「…ねぇ、祐一、あの子の事?」
「…俺の問題だ」
「うん、わかったよ」
 的が外れていないだけに、祐一は非常に後ろめたくなる。
「じゃ、走るか」
「うんっ」
 そして、ダッシュ。
 中距離走は「やりたがる人が少ないんだよ」らしい。しかしながら名雪は中距離走の選手だそうだ。祐一は理由を聞く気にもなれなかった。
「祐一、がんばってっ」
「……」
 しゃべる気力すらない。学校までの平均速度が上がると名雪の強さが際だつようだった。
 それでも何とか二人は登校時の最後のラッシュに滑り込んだ。
「ふー、間に合ってよかったね」
「はぁ…はぁ…」
「だいじょうぶ?祐一」
「ギリギリじゃ、ないんだったら、もう少し、ゆっくり、すれば、よかった…」
「スピードを調整するのは難しいよ…」
「はぁ…俺は、何とか、習得してみせるぞ…」
 よろよろと教室に向かう祐一と、ある程度余裕を見せる名雪。名雪は多少急いだ時と非常に急いだ時の差があまりないようだった。
「…あ」
「なんだ…」
「香里」
 祐一は顔だけ上げる。階段の上の方に見慣れたウェーヴィ・ヘアが見えた。
「今、人のことに、構っている余裕がない…」
「でも」
「香里は、香里の問題もある…」
 多少働きの鈍い頭で出した結論だったが、
「そうだね…」
 名雪も同意した。
「あさって、部活がお休みだから…その時に、私香里を誘ってみる」
「ああ」
 階段の端をのらくら上がっている間に、祐一もだいぶ人心地ついたようだった。
「頼むから、もう少し早く出ような」
「祐一も、変なことしないでね」
「そうだな…」
 祐一は深く深く後悔した。動揺を隠すためとはいえ、後先考えない行動はするべきものではない。
 二人がチャイムとほぼ同時に教室につくと、香里はまた窓の外に視線を流していた。


 4限の倫理、教師は笹井、残り時間あと2分である。
 祐一は当然のごとく時計にずっと目をやっていた。早く終わりこそすれ授業を延長する教師ではない。もっとも、今日はほぼ定刻通りに終わるようだった。
「まぁセンターではこの3つしか聞いてきませんから…」
 2年生の1月だ。あと1ヶ月もすれば勉強しなくなるものを聞いている生徒も少ない。笹井の方も一部の聞いている生徒用に受験対策を前に出した授業をしていた。
 そこで、ふと祐一は気づく。栞とどこで会えばいいものか?
 たぶん、学食に行けば会えるだろうな…。
 適当に考えて、腕時計の秒表示に目をやる。あと65秒だった。
 1分、50秒、40秒、30秒…20秒。
 将棋の持ち時間のように心の中で読み上げた瞬間、
「もう時間ですね。続きは来週にしておきましょう」
 笹井がチョークを黒板に置いて、教科書を閉じる。
 その瞬間、寝ていたりマンガを読んでいたり内職をしていた生徒がどんどん立ち上がり話し始める。笹井もすぐに教室の前側のドアから出ていった。自分の立場をよく弁(わきま)えた教師だ。
 祐一も一直線に後ろ側のドアに向かい、教室を出た。名雪は寝ている。香里はやはり窓の外を見ている。一言くらい声をかけるべきか祐一は迷ったが、思ったときには既にドアの前まで来てしまっていた。
 周囲をないがしろにする傾向が出てきたような気がして、祐一はちょっとした自己嫌悪にも陥る。だが、残り少ない栞との時間との天秤は簡単に傾いてしまった。
 祐一は軽く頭を振ってから廊下を歩き始める。
 すぐにチャイムが鳴り、隣のクラス、その隣のクラスと生徒達が騒ぎ始める声が聞こえ始めた。席確保も考えて、祐一は小走りになる。出来れば奥の方の多少目立たない席が欲しかったのだ。
 たったったっ…
 その時、生まれ始めた生徒の流れに逆らってこちらに向かう少女ひとり。
「あれ?栞?」
「祐一さん」
 栞が立ち止まる。大きなブルーのスポーツバッグを抱えていた。あまり栞には似合っていない。
「なんだ、こっち来たのか」
 駆け寄ってから祐一は言った。
「待ち合わせ場所を決めてませんでしたから」
「そうだな。昨日決めとけばよかった」
「祐一さんの教室に行って、祐一さんを呼ぼうと思ってたんですけど」
「…後先考えて行動しような、栞」
「いやなんですか?」
「こっちの立場も考えてくれ…」
「恥ずかしいのは、私も変わりませんよ」
 の割に嬉しそうだった。
 その言葉で祐一はあまり面白くないことを思い出す。
「なぁ栞、シーツ、今日洗ってくれるって」
「…はい!?」
「秋子さんが…」
「祐一さん、秋子さんに言ったんですか!?」
「違うーっ!何も言ってないし見せてない」
「じゃあ、どうして…」
「偶然…にしちゃできすぎだよな。どっかで見破られたのかも」
「祐一さんが無意識の内に態度に出していた可能性が高いです」
「知るかっ。昨日の内にバレてたんだろ。やっぱり」
 階段を下り始めながら祐一が言う。
「祐一さんの家に行きづらくなっちゃいました…」
「共犯だからな」
「…」
 栞は何か言おうとしたものの、結局顔を赤くして黙り込んでしまった。
「…でだ」
 コホン、と祐一がわざとらしく咳払いをする。
「それが弁当なのか?」
「はい」
「バッグが大きすぎるだろ。もっとちょうどいいサイズのはなかったのか?」
「大きすぎるってこともないですよ、さすがに満杯ってわけじゃないですけど」
「…ちょっと待った」
「なんですか?」
「どれくらい入ってるんだ?それ」
「これくらいです」
 栞がスポーツバッグを押す。ほんの少しだけしかへこまない。
「弁当箱の人口密度は」
「100%です」
「…不可能だろ」
「厳密に見ても80%は行っていると思いますけど…」
「栞、人間の胃袋の容量って知ってるか?」
「この前、カレーをひとりで5kg食べる人のテレビをやってました」
「…言うと思った」
 祐一も同じ番組を見ていたから世話がない。
「食べてくださいね」
「わかったよ。こうなりゃヤケだ」
「ちゃんと味わって」
「絶対両立しないと思うぞ…」
「先に決めつけちゃだめです」
「99.9%は100%と同じだぞ…」
「違いますよ」
 栞はにこにこ顔だった。
 50分後。
「…俺を殺す気か」
「なんでそうなるんですかっ!」
 栞は真っ赤な3段ランチボックスを取り出しながら言う。テーブルの上には、重箱のような弁当箱が既に5つほど並んでいた。どれもまんべんなく半分くらいは食べ尽くされている。
「こんなに残したんですから、その代わりにデザートを食べてくださいっ」
「甘いものも入るところは一緒だっ」
「甘くないのもありますよ?」
「え?」
「これです」
 栞は2段目のランチボックスを開けて、アルミホイルのケースに入れられたペースト状のものを指さした。
「…なんだこれは」
「食べてみてくださいっ」
「成分を先に言えっ!」
 乳白色のペーストとオレンジ色のペーストがマーブル状に混ざり合っている。
「クリームチーズと甘さひかえめのマーマレードを混ぜたんです…クラッカーに載せて食べるんですよ」
 栞が3段目のランチボックスを開けると、中にはぎっしりとクラッカーが詰まっていた。
「…なんだってお前は腹にたまるデザートを持って来るんだ」
「おいしいですよ。他にも、ホイップクリームとピーナツクリームとチョコクリームがあります」
「いい。聞くだけで死にそうだ」
「…じゃあ、せめてフルーツだけでも食べてください」
 栞は一段目のランチボックスを開ける。中には種々のフルーツが所狭しと並べられていた。
「…初めからそれを出せ」
「甘いのが嫌だって言ったのは祐一さんですっ」
「言ってない。断じて言ってないぞっ」
「ということで、ちゃんと食べてくださいね」
 パステルグリーンのようじで、栞がウサギ型のリンゴをぷすっと刺す。
「耳の形が違うぞ…」
「味には違いがありませんっ」
 栞はようじで刺したリンゴをそーっと祐一の方へ運んでいった。その下に片手を添えて。
「ちょっと待った」
「はい?」
「あのな、栞…」
「祐一さん、口開けてください」
「公共の場でやるなっ!」
「あっ」
 祐一は栞の手からリンゴを取り上げた。
 一口で食べて、しゃりしゃりと噛み砕く。
「…ひどいです祐一さん、そんな事する人嫌いです」
「あのなぁ…」
「罰として、全部食べてください」
「時間も胃袋の容量もないっ」
「じゃあ、」
 栞は二つ目のリンゴをようじで刺す。
「…わかった。わかったけど、全部は無理だぞ」
「はい」
 祐一は、ミカン・イチゴ・ナシを食する。バナナ・モモ・パインは敬遠した。無論後者二つは缶詰に由来するシロップがたっぷりと含まれたものである。
「…ああー…ごっそさん」
 大業を為し終えた、と言った感じで祐一が言った。
「はい…でも、持って帰るのが大変です」
「家に帰る時なら、俺が持って行ってやるよ」
「じゃあ、その時にまた食べてください」
「は?」
「あと2つ授業を受ければ、お腹もすくでしょうから」
「…むごいぞ」
「当然です」
 栞はつんとすました顔で言う。
「昨日と同じところで、ですね」
「…栞」
「なんですか?」
「消化剤をくれ」
「残念、今日は持ってないです」
「お前…必要ない時に薬を持ち歩いていて、なんで今はないんだ…」
「スカートが違いますから」
「了解」
 腹をさすりながら、祐一は諦め顔になった。


「祐一さん、遅いですっ」
「おう」
 祐一が昇降口を出ると、昨日の言葉の通り栞が先に来ていた。
「で、秘策ってなんだったんだ?」
「秘密です」
「勝ったんだからいいだろ」
 栞に祐一が並び、スポーツバッグを受け取る。
「実は今日、5時間目までだったんです」
「…終わってみれば何の面白みもない種明かしだったな」
「やっぱり、秘密にしておけばよかったです…」
「つまんないって事に自覚はあったんだな」
「そこまで言わないでください」
 あまり怒った様子はない。
「まぁ、次はもっと面白い秘策を考えてくれ」
「はい。いつかきっと祐一さんをあっと言わせて見せます」
「…驚いた事ならいくらでもあるけどな」
「私も、祐一さんに驚いた事が何度もあります」
「お互い、もう少し平和になろうな」
「そうですね」
 そして校門を出る。
「で、どこで食うんだ?これ」
「あ、振り回しちゃだめですよ」
「だな…で、どこで食う?」
「荷物が大きいですし、出来るだけ近いところがいいんじゃないですか?」
「そこまで重くはないけどな」
 栞が持てた荷物なのだ。しかも、最初の半分の重さだった。
「お腹に入れた方が軽くなるんですよ」
「それは山登りだろ」
「平らなところでも一緒です」
「近いところで、弁当を食えるところ」
「難しいですね…」
「いや、該当するところはすぐに思いつくんだが」
 祐一が視線を宙に向ける。
「公園は遠いですね」
「そうだな」
「そうすると…」
「なぁ栞、この弁当絶対に食べなきゃだめなのか?」
「だめです」
 断言する。
「場所の候補が一つになったって知ってるか?」
「そうかもしれません」
「…まぁ」
 祐一は都合良く足下にあった小石を蹴飛ばす。
「二人の方が少しは気楽かもな…」
「それは…」
 栞がやや俯(うつむ)き加減になる。
「よし。きまり」
「…はい」
 と言うことで、二人は昨日と全く同じ道のりをたどる事となった。ただし商店街は別の用事で寄る事になる。
「これだけあれば、3日は食糧に困らないだろうな」
「でも、今日で食べなきゃだめですよ」
「正直無理だと思うが…」
「なんとかしてください」
「…ちょっと待っててくれ」
 祐一は商店街の中の薬屋に入っていく。栞も、店の前で待たずに店の中まで入っていく。
「消化剤ですか?」
「ああ」
「でも、10分とか20分で効くんですか?」
「わからん。胃に直接作用してくれるなら、あるいは…」
 祐一はよく宣伝している消化剤の一番小さい箱を買って、店を出る。
「栞、これ、少しだけ持っててくれ」
「はい」
 スポーツバッグを渡し、消化剤を箱から1パック取り出す。
 近くには自動販売機。ドリンクは全て「あたたかい」に染められていた。
 ゴトン!
 烏龍茶のボタンを押すと、350の大きな缶が転がり出る。
「薬飲むにはちょっと熱いな」
「しばらく私持ってますよ」
「悪い」
 缶を手の平で転がしながら、祐一は言った。
「雪の中に突っ込めばすぐ冷えそうだな」
「新しい雪じゃないと、汚いですよ」
「底の方だけつければ…」
「そんな事しなくても、すぐに冷めると思いますけど」
「それもそうだ」
 商店街を抜けて、家路の半分を過ぎる頃には確かにだいぶぬるくなっていた。
「もう飲めそうだな」
 少しだけ烏龍茶を口に含み、粉薬を一気に口に入れる。
 ごくん。
 飲みきれずに舌に粉薬が残った。祐一は慌てて烏龍茶で流す。
「にがっ」
「そのお薬、そんなに苦いですか?」
「まぁそんなでもないかもな…栞も飲んだことあるのか?」
「はい。苦くない薬を探し求めて出会ったんです」
「だったら赤ん坊用のを飲めば…」
「祐一さんっ!」
 子供扱いには無条件に反応するようだった。
「いや…でも、栞でも食べ過ぎなんかするんだな」
「一度だけ…ちょっと」
「でも、『探し求めて』って…薬、何回飲んだんだ?」
「5,6回くらいだと思いますよ」
「一回食べ過ぎただけだろ…なんか違うぞ」
「一応病気ですから」
「食べ過ぎとは関係ないだろ…」
「でも、食塩水を注射するだけで病気が治っちゃったとかいう話があるじゃないですか」
「それは、『本当は効く薬なんだぞ』って言って打たれた注射だからっていうやつだろ」
「病は気から、ですか?」
 普段通りの顔で言う。祐一は答えに窮した。
「…どうだろうな」
 曖昧に返すしかない。
「どっちでもいいです、私は」
「…栞」
 栞はそれ以上言葉を続けず、軽やかな笑みを浮かべて道に沿う川に目を向けた。
 祐一も川を見る。コンクリートの護岸に囲われた、ガードレールの向こうの狭い川。東京なら完全にドブ川だろう。だが、川の水はある程度の透明度と生態系を持っているように見えた。
 この街に越してきてから通学路の横にある川をわざわざ見る事など無かったが、改めて見てみると東京とは違う自然の力を感じさせられる。それは祐一の幻想かもしれなかったが、祐一は少しくらいの幻想を許容する気分になっていた。
「なぁ、栞」
「なんですか?」
「栞は、おとぎ話、好きか?」
「嫌いじゃないです」
「そうか…」
 現実と幻想の狭間を越えた後に、人間は現実にも幻想にも優しくなれるのだ。
 栞は、祐一がなぜそんな質問をしたかを問うこともなく、ふと川から視線を戻すとゆっくり歩き始めた。


「いらっしゃい」
 外出中ではないかという二人の淡い期待に反して、秋子は二人を迎えた。
「すいません、昨日お邪魔しているのに…」
「ちょっと、作ってもらった弁当を食う場所が見つからなかったもんで」
「栞ちゃんにお弁当作ってもらったの?いいわね」
 微笑ましい若き恋人に接する態度の見本のようだった。
「ということで、俺の部屋にいます」
「はい」
「お邪魔します…」
「あ、秋子さん、できればお茶を持ってきてくれると嬉しいんですけど…お願いしてもいいですか?この烏龍茶、もう冷えちゃったもんで」
「番茶と紅茶、どちらがいいですか?」
「番茶でお願いします」
「わかりました。すぐに持って行きます?」
「ええ」
 祐一の部屋に二人がずっといれば、秋子は気を使って来ないだろう。その事について、秋子は何も言わないだろう。そうすれば、二人はまた見抜かれているのではないかと気を揉む事になる。だからとりあえず、部屋にすぐ来て下さいというメッセージを打ったのだ。
 そして栞と祐一はそそくさと秋子の横を抜けていく。
「…どきどきしました」
「俺も」
 階段を上がりきったところで二人は会話を交わす。
「私たちの事どう思っているのか、全然わかりませんでしたね…」
「栞、読もうとする方が間違っている」
「…わかりました」
 がちゃ。
 祐一は部屋を空けた。
「…うひゃあ」
「…祐一さん」
 ベッドのシーツが変わっている。それは予想通りだった。しかし、シーツに加えて、敷き布団のカバーと枕カバーまでライトブラウンを基調とした不規則な柄のものに変わっているのは予想の範疇を超えている。
「…ひぇー」
 祐一はどん、とスポーツバッグを床に置いた。
「私、なんだか一つ賢くなったような気がします」
「これも人生経験だと思うか…」
 二人二様の敬虔(けいけん)な解釈だった。
 祐一は暖房のスイッチを入れて自分の机の椅子に座った。栞はややためらいながらも、昨日と同じようにベッドに座る。忘れられたように冷え切った烏龍茶の缶が机の上に立つ。
「どうです?お薬、効いてますか?」
「多少は違う気もするが…元が元だからな」
「もうちょっと待ちましょうか」
「そうしてくれ」
 こんこん。
「あ、はい」
 がちゃ。
 盆の上に二つの湯飲み、急須、茶漉しを乗せた秋子が現れる。
「あら…椅子を持ってきてあげた方がいいかしら?」
「いえ、お構いなく」
「大丈夫ですよ、秋子さん」
「そう?あんまり離れているとお話しにくいんじゃないかしら」
「何とかなりますよ」
「もし必要になったら、真琴のいた部屋、あそこの押し入れに折り畳みの椅子とテーブルが入っていますからね」
「ありがとうございます」
 秋子は祐一の机に盆を置いて、二人分の番茶を注いだ。その間、二人はどこか目のやり場に困ったような素振りを見せていた。
「はい、祐一さん」
「どうも」
「栞ちゃん、どうぞ」
「ありがとうございます…」
 おずおずと受け取って、ふーっと湯飲みの番茶に息を吹きかける。
「あ、祐一さん、同じシーツが無かったもので、色つきのシーツにしましたけど。前の方が良ければ、後で戻しておきますよ?」
「あー…いっさいがっさいもう一度付け替えてもらうのも、秋子さんが大変じゃないですか?俺はこのままでいいですよ」
「そうですか。じゃあ栞ちゃん、ゆっくりしていってね」
「どうもすみません」
「すみません」
 かちゃ…
 静かな音を立ててドアが閉まる。
 ずずっ。
「…お茶が旨い」
 ず…
「ほんとに美味しいです」
 疲れた声で二人が言う。
 しばらくの間、番茶をすする音とかすかなため息だけが部屋の音響を支配した。
「もう一杯、いるか?」
「いいです…お弁当を食べるときにも飲みたいですし」
「そうだな」
 二人はほぼ同時に湯飲みを空にする。
 そうしてしまうと、空白が生まれた。
 だが、その空白を楽しむことが出来るほどに祐一は、あるいは栞も、落ち着いていないようだった。
「なぁ栞」
「なんですか?」
「やっぱり栞、今日もよくしゃべってるな」
「…うーん。そうですね」
「俺にあれだけ臭いセリフ言わせても、やっぱり変わらないか?」
 軽さと真剣さを何とか同居させようと、祐一は努めた。
「身に付いちゃってますから…」
 主語が欠けた台詞。
「そうか」
 祐一はうなずき、そしてじっくりと考える。
「…それは、言葉以外のものに対する信頼がまだ十分に持てていないと解釈するべきなのか?」
「わかりません」
 不自然なほどすっきりした顔で栞は言った。
「だって、栞、昨日はあんなに深刻そうな顔で…」
「深刻ですよ」
「だったら」
「深刻ですけど…改めて祐一さんに言われてしまうと、なんだか深刻っぽくなく聞こえちゃうんです」
 人差し指を宙にくるっ…と回しながら、栞は言った。
「うーん」
 多少理不尽な話だったが、祐一にも全く理解できないわけではない。
「なんか、昨日の私を今日の私が遠くから見ているって感じで。現実の深刻な問題だって、全然思えなくなってきちゃうんです。『言葉しかなくて不安だ』って事が、言葉を繰り返していく内に不安じゃなくなる…なんだかそれっぽいですね」
「『それっぽい』って、お前な」
「でも、完全に解決したわけじゃないですよ。私が一人になった時にもそう思えるかどうかはわかりません」
 栞の瞳の奥に微少な闇が生まれる。
「言葉は、聞いてくれる人がいないと、意味がありませんから」
 声の色にもわずかに影が落ちる。
「そうだな」
「聞いてくれる人がいる内は、しゃべっているだけで耐えられるかもしれないんです。どんなに辛いことでも」
「俺は、栞の話を聞ける時なら、どんな話でも聞くつもりだ」
「ありがとう、ございます」
 どこか優雅なトーンすら見せて、栞はお辞儀をした。
 綺麗に収まったダイアローグ。演劇的なほどに。
「…栞」
 しかし祐一はその幕を再び上げてしまった。
「はい」
「でも、俺が聞いてあげられなくなったら、どうなるんだ…?」
「………」
「言葉が意味を失ってしまったら…」
「………」
 栞は沈黙を重ねた。
 始めて祐一と栞が出会った時にも似た、憂いの想いに憑かれた表情。膝の上にきちんと重ねられた両の手。
「俺と栞が一人ずつになる前に…」
 祐一はそこで口ごもる。言うべき言葉は決まっているのだが、その言葉が滑らかに唾液に濡れるまで舌先で転がす。
「…カラダが、どれくらいの意味と強さを持っているのか…ちゃんと確かめておくべきって気がする」
 言葉が滑り出た。
「…祐一、さん」
「どう思う?栞…」
 やや椅子から身体を乗り出すようにして、祐一は問う。
「それじゃ、私達、もうすぐ会えなくなるみたいじゃないですか…」
 栞は、瞳をきゅっと閉じて言った。口元にはにこやかな笑み。
「………」
 今度は祐一が沈黙する番だ。
 デジタルの目覚まし時計が無音で時を刻み続ける。
 戸外にあるべき小さな騒音も、どこまでも白い雪が全て吸い取っていく。
 ……………
「でも」
 たっぷりと祐一に沈黙のダメージを与えてから、栞は言った。
「私の身体の女の子が、祐一さんの男の子に反応できるかどうかは、ちょっぴり知りたいです…」
「栞…」
「ただの、好奇心です…女の子の、好奇心です…」
 性交した時以上に頬を紅く染め、祐一から視線を大きくそらして栞は言った。
 がら…
 祐一は椅子のキャスターを軽く滑らせ、立ち上がる。
 栞は視線をそらしたままだった。ただ、目が心持ち大きく見開かれているように見える。
「栞?」
 祐一はやや躊躇しつつもベッドに近づいていった。
 栞は、未だ祐一と目を合わせようとしないままに、制服の上に羽織られていたストールをするっと抜き取った。くるくるっといい加減にまとめて、枕元に置く。
「私、どうしてこんな事言っちゃうんでしょうか…?」
「………」
「祐一さんが私に言わせたい台詞を先取りしちゃった…そんな気分です」
 冷めた瞳。
 それは、どこか最近の香里の瞳にも似ていた。姉妹という類似性を越えたレベルでの、より深い類似性。
 祐一はしばしその瞳の色を噛みしめる。
「栞」
 そしてやや強めに声をかけた。栞はやっと祐一と目を合わせる。
「聞く人間がいなければ言葉が無意味になると言うなら…」
 栞の言った言葉だという事を強調するかのように、強く栞の目を見つめながら言う。
「言葉を言った人間がいなくなっても、それは無意味じゃないのか?」
 それに祐一の言葉が続いた。
「…祐一さん」
「自分の言った言葉には責任持てよ」
 祐一はにっ、と故意に下卑た表情を作った。彼の顔のつくりのせいで、せいぜい口説き文句を言う男といった程度にしかならなかったが。
 ふぅ、と栞がため息をついた。すっと目が閉じる。
「…言葉って怖いです」
「ちょっと気づくのが遅いよな、栞って」
「…ほんとにそうです」
 栞はふふっと笑った。その笑いは、なんとか自虐の海に沈み込むことなしに成立できたようだ。
 祐一は栞が目を閉じている間にベッドの所までたどりつく。そして、栞の肩にそっと片手を乗せた。
「祐一さん…」
 栞は眠りから覚めたような様子で目を開ける。
「皺、できるだけ寄らないようにしたいからさ」
 手を離し、栞の横に座る。
「わかりました…」
 恥ずかしそうに言ってから、まずリボンを解き始める。ちらちらと祐一の視線を気にしながら。
 見るなとも言えないのか、栞はずっと視線を気にし続けながらも同じ調子で制服を脱いでいった。リボンを解き終わるとボタンを一つずつ外し、身体を少しだけよじって脱ぐとブラウスのボタンをまた一つずつ外し、袖のボタンも外して同じように脱ぎ…と。ミルク色をした厚手のシャツまで来た時に、栞の動きが止まる。
「どうしたんだ?」
「あ、あの…」
 これまで以上に祐一の視線を気にしているようだった。
「な、なんでもないです…」
 シャツの裾をぐっと掴むと、思い切った様子で脱ぎ捨てる。やや幼い仕草だった。
 すぐに栞は両の腕で、白色の下着に包まれた自らの乳房を覆い隠す。
「…えっと」
 栞はどうやってスカートを脱ごうか思案しているようだった。
「そのままじゃ脱げないだろ」
「…でも」
「…スカート脱ぐよりも胸の方が恥ずかしいのか?」
「比べるものじゃないです」
 言いつつも、栞はますます腕をぎゅっと縮めて胸を覆い隠そうとする。
「だったら、俺がスカート脱がすぞ」
「無理矢理脱がされたらしわしわになっちゃいます」
「じゃあどうしろってゆーんだ」
「…じ、自分で脱ぎます」
 栞は身体を小さくして、出来るだけ乳房が隠れるようにしながらスカートを少しずつ脱いでいく。無理がある体勢のために、それなりに時間が掛かった。
 ぱさっ。
 最後には、膝のところから床にそのままスカートが落ちる。
「祐一さん、畳んでおいてください」
「…あぁ」
 栞が少し足を上げた。釈然としないままに祐一はスカートを拾い、机の椅子のところまで掛けに行く。
「要するにだ」
 祐一が振り向くと、二枚の白い下着だけに包まれた栞が、また乳房だけを覆い隠している。
「胸の大きさの問題か?」
「そんな事言う人、大っ嫌いですっ!」
 胸はまだ隠したまま、大声で抗議する。
「…なんだ」
「なんだじゃないです、祐一さんってデリカシーのかけらも無い人です」
「別に気にしちゃいないぞ」
「そういう問題じゃありません」
「そこまで気にしなくても…」
「男の人にはわからない悩みです」
 祐一は栞の前に立つ。栞は膨れた頬に上目遣いで祐一を見る。
「気にしないって」
 そして祐一はゆっくり栞の方に倒れ込んでいった。
「あ…」
 栞は身体を腕で抱えたまま、反応できない。
 祐一は膝のバランスを使って倒れ込むスピードを調整したが、それでも少し勢いをついたまま栞にぶつかってしまった。二人はばたんとベッドに重なる。
「…ちょっと痛かったです」
「悪い、でも動かない栞も悪いぞ」
「…はい」
「いい加減手を離してくれ」
 栞は、祐一の身体と自分の身体の間に挟まれた手を引き抜く。
「方向、変えるぞ」
「わかりました」
 祐一は一度身体を起こす。
 栞は座っていた時と同じ状態だった足をベッドの上に乗せて、枕とは逆の方に頭を持って行った。枕元には栞の脱いだ服があったのだ。
 腕をくたりと身体の横に置いた、無防備な姿勢で祐一を待つ。祐一がベッドに上がったときに少しだけ身を縮めたが、腕を動かそうとはしなかった。
「栞…」
 祐一は栞にまたがるようにして、乳房を包む下着に手を伸ばす。それを伝っていってから、ホックが背中にある事に気づく。
 背中に手を回して…とも考えたが、まずうまくいかないであろうという結論に達した。
「なぁ、栞、これも自分で取ってくれるか?」
「………」
 可笑しそうな、でもやはりそれ以上に恥ずかしそうな表情。
 それでも栞は背中を浮かせ、ブラジャーのホックをぷつりと外した。祐一が真ん中の部分をつまんで持ち上げると、簡単に脱げる。
 そこには、栞の控えめな乳房が並んでいた。
「綺麗だぞ、栞」
 ブラジャーをベッドに脇に置いて、言う。
 栞は何も言わなかった。
 祐一は手の平全体を二つの乳房にかぶせるようにする。そして、その温かな柔らかさを感じる。
 上下左右にわずかだけ動かすと、そこがしっかりした弾力を持っているのが感じられた。ぷるっと震えそうな感触が手の平に伝わる。やや大きめに動かすと、ぷるんとはっきりした震えが、目にも見えた。
 どういう力を加えるとどういう動きをするのか祐一が把握する頃には、栞の息が少し上気したものになっていた。
「栞、ひょっとして、これだけで気持ちいいのか?」
「わかりません…」
 祐一は力を入れやすいように、乳房を下から持ち上げるような形に手の平を動かす。
 くにゅっ。
 あくまで丁寧な力の入れ方だったが、今度は明確に揉む動きだった。栞の乳房が変形を見せ、力を抜くと元の形に戻る。段々と力を強めていくと、さっきと同じようにぷるんとした弾力も感じられる。
「あ…」
 すると、栞の乳房の先端が膨らみを見せ始めた。乳房全体のサイズに見合った小さな突起だったが、それがはっきりと尖り始める。色もやや紅みを帯びてきたように見える。
「栞のここ…」
 祐一は揉む動作をやめて乳首をころころと転がす。
「あ…祐一…さん…」
「どうだ?」
「なんだか…不思議な…気持ちです…」
 直接刺激を与えると、そこは一層の膨らみを見せ始めた。ぴんと尖った紅の部分が露わになっていく。
 祐一は、片方の乳房に揉む動きを加え、逆の乳房の先端を転がすという愛撫を始めた。時々、左右を交替させながら。焦らずにじっくりと刺激を加えていくと、栞の吐息はますます熱いものになっていった。
「はぁ…祐一さん…ふぅっ…」
「小さくても、ここ、結構敏感なんじゃないのか?」
「祐一さんが…そんなに…触るからです…」
 栞は完全に祐一の愛撫に身を委ねていた。
 祐一は胸への愛撫をやめると、栞にまたがっていた身体をずらしていく。
 不安そうに栞が見ている中、祐一は栞のショーツに手をかけた。昨日のショーツとあまり変わらない、白のコットンショーツだ。
「ちょっと腰上げて」
 栞は素直に従った。祐一は一気に股下までショーツを引きずり下ろすと、そのまま膝下まで動かしていく。栞は目を閉じてしまった。
 そこにあるのは、やはりほとんどヘアーのない秘裂。昨日はただ祐一を受け入れる為だけの場所だったそこも、身体を高ぶらせつつある今日の栞にとっては未知の身体領域である。
 祐一は、秘裂の入り口に指を当てた。
 熱い。ほとんど温度が感じられなかった昨日と違って、はっきりと熱い。
 その事実に勇気づけられた祐一は、昨日と同じように秘裂の表面を指で上下する動きを加えてみる。
「はぁ…」
 栞が吐息を漏らした。
 そのまま幾度か指で表面を愛撫する。栞は、胸を愛撫していた時と同じような切ない呼吸で応えた。
 祐一は二本の指でそっと秘裂を広げてみる。昨日はほとんど気づかなかった鮮紅色の粘膜が見えた。生々しい肉の色は、やはり栞の肢体にはあまりそぐわないようにも思える。それでも、祐一はそこに惹かれた。
 一度指を口に入れ、唾液で濡らしてから再び秘裂を広げる。慎重に、秘裂の入り口に一番近い辺りを撫でてみる。
「あ…」
「大丈夫か?」
「ええ…痛く…ないです」
「本当だな?」
「もちろんです…」
 少しずつ指を進める。熱を持った粘膜が、ぬめった感触で祐一の指に絡みついた。唾液のおかげなのか、粘膜の元々持っているぬめりなのか、摩擦感はほとんど感じられない。
 粘膜を刺激しても栞が痛がらないという事がはっきり分かると、祐一は段々と中を観察する余裕を持ち始めた。秘裂の中にある襞状の複雑な構造。昨日祐一のペニスを受け入れた部分はわかったが、こうして見る限りではどうやって入っていったのか不可思議なほど小さかった。
 それから、秘裂の始まりのところにある、あまりにも小さな包皮に覆われた突起。
 そんな微に入った観察をされているともつゆ知らず、栞はさらに身体を高まらせているようだった。時折強い刺激が加わると、
「あ…」
 と小さな嬌声を上げる事すらある。祐一は、もはや栞の身体を傷つける事の恐怖をほとんど感じていなかった。
 じわ…
 そして、栞のヴァギナの周辺を愛撫しているときに、そこから透明な液体がにじむ。
「栞…濡れてる」
「え…」
「濡れてきた…」
「そんな…」
 ぼうっとした表情のまま目を伏せる。本人はほとんど自覚していなかったようだった。
 祐一はその液体を指の先で絡め取る。ねばっこく、熱い液体だった。その指を、これまで触れずにおかれてきたクリトリスの方に向ける。
 まず、祐一は指先でちょこんとクリトリスを触った。
「あ…!」
 栞がぴくんと腰を震わせる。
「栞…どうだ?」
「なんだか…ぴりって来て…でも…」
「気持ちいい?」
「ちょっと…怖いですけど…」
 婉曲だが、肯定だ。
 祐一は再び指先をクリトリスに当てて、小さな円を描くようにする。それほど力は入れていない。
「んはぁ…」
 それでも、栞はこれまでないほどの反応を見せた。甘い声を上げたかと思うと、じわっ…とにじみ出す愛液の量が突然多くなったのだ。
 急がず焦らず、祐一はじっくりとその回転運動を繰り返した。栞が身をよじる。愛液がとろっと垂れてしまうほどになり、完全に透明ではなく半透明に濁り始める。
「すごいな…栞」
「いや…です…祐一さん…」
 かれこれ、2,3分は同じ動きが続けられていた。いつしかクリトリスはぷっくりとした勃起を見せている。包皮から顔をのぞかせてしまいそうだった。愛液の方も、ひっきりなしにぽた…ぽた…とシーツに垂れ続けている。
「あ…あっ」
 栞がシーツをつかんだ。
「どうした?」
「な…なんだか…身体が…」
 ひくひくと震え始めている。
「それって…」
「祐一さん…怖いです」
「大丈夫だ。俺の指を感じるんだ」
 祐一はクリトリスへの刺激を強めた。
「あ…あーっ」
 はっきりとした喘ぎの声が発せられる。
「栞…栞っ」
「ゆ、祐一さん…何か、来ますっ!」
 栞がつかんだシーツをめちゃくちゃにする。
「!」
 身体がぴんと張った。
 祐一はその大きな反応に驚く。
 そして、くたっ…と力が抜ける。
「だ、大丈夫か?栞」
「は…はぁ…」
 息を荒くして、ぐったりとしていた。
「今のが…女の子がイクってことなのか…?」
「はぁっ…わかりません…はぁ…私…」
「すごかったな。俺も興奮した」
「そ、そんなこと…はぁ…言わないで…ください…はぁ」
「それに、可愛かったぞ」
「はぁ…祐一さん」
 多少息が整ってきたようだ。
「なんだ?」
「私の他に、女の子にこういう事したことあるんですか…?」
「んなわけないだろ」
「でも、すごく上手でした」
「とにかく丁寧に触ろうとしただけだよ…あと、栞の身体も思ったより敏感だったしな」
「…知りません」
「そうか」
 祐一は栞にまたがったままの身体を、最初の位置に戻した。
「ちょっ…祐一さん…?」
「栞が、入れてる時にも気持ちよくなれるようになってほしいからな」
 乳房に両手を添えて、大胆な愛撫を始める。
「そ、そんな…ふぁ…」
 しばらくの間乳房が刺激されてなかったとは言え、エクスタシーの直後だ。栞の身体はすぐ祐一の愛撫を受け入れ始めてしまう。
「だめ…だめです…」
「昨日は栞を痛がらせただけだったしな。公平じゃないと」
「むちゃくちゃです…あぅっ!」
 乳首を転がされる。
 結局、祐一はこの日3回栞をエクスタシーまで導いた。最後の方には、栞は息も絶え絶えになっていた。
「…祐一さんって、ひょっとして単にえっちな人なんじゃないかって思えてきました」
「そんな事はないぞ」
 やっと服を整えた二人が言う。
「証明してください」
 栞はスポーツバッグを開けた。中からどん、どんと弁当箱が取り出されていく。
「わかったよ」
 祐一は苦笑しながら言った。消化剤の効果も、だいぶ効き始めてきたようだ。
 ぬるい番茶と一緒に、祐一は弁当を最終的に90%は平らげた。果物も全部食べた。クラッカーシリーズは手つかずである。
「…もう無理だ」
「ひどいです、このクリーム一生懸命作ったのに」
「そういうのは、人の能力を考えて作ろうな」
「祐一さんを信用した私がばかでした」
「もっと、別のところで信用してくれ…」
 そして栞は家に帰っていった。いつの間にか6時を回っていたのだ。部屋の中から見る外の景色は、もう闇に落ちようとしていた。日はまだまだ短い。
「今日も、送って行かなくていいのか?」
「とりあえず、祐一さんお腹が大変そうですから」
「…だったら、作る前に考えてくれ」
 この日、祐一が秋子に夕食を断ったのは言うまでもない。


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