セリオ[機能]


 休日。昼下がりの公園。
 公園と言っても児童公園のような小さい物ではないし、かと言ってだだっ広いものでもない。郊外の住宅地に良く見られるような、それなりの広場があって、休めるところがあって、緑が多くて…と言った趣のところだ。
 そういう所に、子供連れの家族がいるのはごく普通の光景だろう。
 母親と娘、それから少女というか何というか、年齢がわかりにくい女性という三人の組み合わせ。最後の女性は、娘の年が離れた姉か、母親の年が離れた妹といった風に見えた。鮮やかな色をした茶色の長い髪。
 三人は娘を真ん中にして、仲良く手をつないで歩いている。ごく普通だろう。
 そのうち娘が何かわめきながら暴れ出した。よくあることだ。
 母親は座り込んで、娘と視線を合わせながらなだめようとしていた。
 しばらくそうしてから、母親は娘とだけ手をつないで、少し離れた方に歩いていってしまった。母親の方も、茶色の髪をした女性も、お互いに申し訳なさそうな顔をしながら別れる。
 後には茶色の髪の女性だけが一人残された。
 普通の人間が見れば、よく事情はわからないが気の毒だといった印象を受けるだろう。彼女の耳のところにある、白いセンサーのようなものを目にしなければだが。
 去っていった二人の方をただ見ていた。
「セリオ…」
「?」
 そして、その女性–––いや、ロボットだったわけだが–––に話しかける男がひとり。
 セリオと呼ばれたロボットの表情は、やや面食らったようなものになっている。
「って、記憶があるわけねーのか…ま、いいや」
「どちらかでお会いしていますでしょうか?私(わたくし)のメモリーにはデータが存在しないようなのですが」
 セリオは丁寧で事務的な、会社の受付嬢としては100点満点の口調で言った。
「会ってるって言えば会ってるけど…マルチと一緒にいたときだもんな。覚えてるわけない」
「HM−12でしょうか?私は製造されて以来、その機種と一緒に仕事をさせて頂いた事は一度もないのですが」
「あー…違う。量産型の方じゃなくて、…そうそう、プロトタイプの方」
 セリオは目を閉じた。優先度の低い方のメモリーからデータの検索を行っているらしい。
「はい、HMX−12とHMX−13のことですね。そちらに会われたという事は、開発グループに関係された方でしょうか?」
「そうじゃなくて…いや、全く関係してないわけでもないかな…ま、いいや。初対面ってことで。俺は藤田浩之っていうんだ」
「藤田、浩之様ですね」
 データインプット。
「そう」
「何かご用事でしょうか?」
 ロボットの人間に対する古典的な態度を、しっかりと踏襲している。
「そういうわけじゃないけど。なんか、子供が暴れてたからさ。ひょっとしたら、なんかセリオがって思って。ちょっと気になってな」
「真奈美様が、私の事を『怖い』とおっしゃいまして。現在、早苗様がひとりで真奈美様を連れて公園の中を散歩されております」
 曖昧に問う浩之に対して、セリオは事実をはっきりと述べた。真奈美と早苗は、それぞれさっきの娘と母親の名前なのだろう。
「やっぱりか…」
 浩之は苦笑いする。
「私は、それまでここで待機するように指示を受けております」
「じゃあ、ヒマだってことだな」
「はい。簡単なご用事でしたら、仰せつかりますが」
「『仰せつかる』ね…ま、その辺はどうでもいいや。別に用事ってわけじゃないから。その辺に座って話さないか?」
 浩之は、木陰の芝生を指さす。
「私の方は、直立姿勢でもエネルギー消費量はそれほど変わりませんが」
「気分の問題だよ。片方が立って片方が座ってじゃ話しにくいだろ」
「承知しました」
 浩之とセリオは芝生の方に移動した。初夏の陽気である。多少風が吹いていることもあって、なかなか快適な空間が演出されていた。
「ふぅ。この季節は過ごしやすいよな。あ、でもセリオ達はあんまり気温とか関係ないのか」
「はい。耐寒−30度、耐熱60度ですので。人間の方が過ごせる環境であれば、ほとんどの場合対応可能です」
「そういう意味じゃないんだけどな…」
 また苦笑い。
「と言いますと」
「いや、気温が上がったり下がったりしても、行動が荒くなったり鈍くなったりしないんだろうなって意味」
「それは、そうですが」
「便利だけどな」
 セリオは浩之の言葉の意味を取りかねているようだった。
 その意味をセリオが理解していないと思ったからこそ、浩之は思わず声をかけたのだろうが。
 言葉を切って、浩之は軽く腕組みした。
「なぁ。セリオ、なんであの子怖がったんだと思う?」
 やや間があってから、浩之が訊く。
「理解不能でした」
 即答だった。
「あっさりしてるな…」
「出来る限り早い段階での判断を行う、というのが設計思想ですので。サテライトサービスの転送速度も、現在の技術のほぼ限界まで高速になるようにされております」
「サテライト…ああ、あれか」
 衛星からの通信によって、巨大なデータベースにいかなる場所からもアクセス出来るという機能のことだった。
「はい。ほとんどの問いには、原則5秒以内に返答を開始する事が可能です」
「そりゃ。すごいな」
 感嘆と嘆息…そんな声。
 浩之は木(こ)の葉の向こうに垣間見える青空を見ていた。
「…そういやさ、セリオ」
「はい」
 何か思いついたかのように浩之が言う。
「そのデータベースって、心理学とかのデータも含まれてるのか?」
 それは浩之のかねてからの疑問だった。
「シャットアウトされております」
「はい?」
 浩之は素っ頓狂な声を上げる。
「HM−13のサテライトサービスは、心理学、哲学、社会学の一部、その他神学などのデータベースからはシャットアウトされる仕様になっております」
「うあ…なんでだ?」
「論理的に解析する事が不可能なデータがあるとされております。それ以上の情報は与えられていないので、サンプルを示す事もできませんが」
 淡々とした説明。
「うーん、すごいな。ある意味潔すぎだ」
「解の存在しない問題を処理しても、エネルギーを消耗するだけですので」
「はぁ…」
 人間が容易には言えない台詞を、セリオは何の躊躇もなく言ってのけた。
「他に、何かお聞きになりたい情報はございますか?」
 セリオは浩之の目的を、HM−13の仕様を知ることだと判断したらしい。
 浩之はまたもや苦笑いを浮かべる事になったが、
「んじゃあさ。セリオ、お前の今のままの能力で、あの子の子守り、出来ると思うか?……そうだよな?子守りだよな?あの子の子守り役として、お前は期待されていたんじゃねーか?推測だけど」
 やや勢い良く言った。
「確かに、早苗様は真奈美様のために私を購入されたようなのですが…」
「なに?あの母さんが自分で買ったのか?」
 浩之が驚く。
「ええ、詳しい事情はプライバシーに関わりますので、説明しかねますが…」
「それはいいよ。まぁ、子守り目的でセリオを買えるくらいだから、普通の家じゃないんだろうけどな…」
 最新タイプの高級ロボットであるセリオを購入するのは、主に企業だった。
「真奈美様の世話をさせていただく際に…真奈美様に恐怖心を与えてしまっては、確かに十分な仕事をしているとは言い難いと考えます」
「…っていうか、それじゃ失格だよな」
「はい」
 そこで躊躇が生まれないのがセリオだった。
「それでいいのか?」
「改善策を考えておりますが…一向に成果が上がっておりません。サテライトサービスでアクセスするデータも、全て参照するのは時間的にほぼ不可能なのですし、同時にメモリーに記憶可能なデータにも限界がありますので」
「なんで駄目なんだと思う?」
「わかりません」
 返ってきたのは、「判断不可能」とか「タイムアウト」とかそういう種の言葉ではなく、小学生のようなありふれた語彙だった。浩之は逆に戸惑う。
「…そうだな。でも、このままじゃセリオもあの母さんもあの子も困るよな」
「来栖川エレクトロニクスの評判にも関わると思われます」
 冷静に重大な事を言う。
「しかし、それは藤田様と直接の関係は…」
「いや。まぁ、なんか気になったから聞いてみたりしたくなったんだけどな」
 浩之はちょっとセリオから視線を逸らす。それで、腕を本格的に組んで、目を閉じながら考えを巡らし始める。
 そのままずっと考えていたが、さっきの母子はなかなか帰ってこない。
 セリオはシステムを低電力消費状態にした。
 端(はた)から見ると、並んで居眠りをしている男女二人組にしか見えない。状況が間抜けなせいで、セリオの耳のセンサーが意識からそれてしまうのだ。「何やってんだか」という視線が、いくつか二人の前を通り抜ける。
「そうだ、セリオ」
「なんですか?」
 セリオはシステムをアクティヴに戻しながら聞いた。7,8分は経っていただろうか。
「あのさ、ちょっと思いついたんだけどな…」
「はい」
「あの子、自分の本とか結構持ってるだろ?」
「ええ」
「それさ、セリオが読むとか出来ないか? 仕事の合間に」
「本、ですか?」
 セリオはやや戸惑った様子で考え込む。
「子守りメインなんだったら、少しくらい間ができるだろ?」
「ええ…今は早苗様がいらっしゃいますし」
「そうそう。あの母さんがあの子見ている間、そういう本読んでみたらどうだ?」
「可能だとは思いますが…なぜですか?」
 セリオは問う。
「まぁ、直感みたいなもんなんだけどさ…とりあえずセリオ、なんかすごい論理的な言葉使うことが多いだろ?全部じゃないけどさ。あの子にも、そういう口調で話しているんじゃないか?」
「そうですね」
 浩之にはそのようすがまざまざと想像できた。
「だからさ、口調だけで印象ってすごく変わるんだよ。今のセリオの口調じゃ、普通の子供はビビるって。あんな子がどういう風にしゃべれば喜ぶのか、ヒントになるんじゃねーか?そういう学習機能もあんだろ?マルチみたいにさ」
 浩之はセリオを説得しようとしているかのように、大きくはっきりとした声でしゃべった。
「ありますが。学習機能という面では、HM−12とほぼ同等のものを備えております」
「じゃあさ。どうせサテライトサービスでうまくいっていないんだったら、そういう方向にもトライしてみたらどうだ?ダメ元でもいいからさ。たぶん、人間関係は人間の方が詳しいと思うぜ?」
「………」
 セリオは宙を見据えてじっと考え込む。全力を注ぎ込んで判断計算をしているようだ。
「なぁ、どうだ?セリオ」
 浩之の問いかけにも、眼球–––つまり、アイ・センサー–––すら動かさない。
「…そうですね」
 セリオが話し出すまで、たっぷり10秒はかかった。
「早苗様と相談して、許可して頂いたら行ってみようと思います」
「そうか。そりゃよかった」
 浩之はどこかほっとしたような、脱力したような顔になる。
「あくまで、許可して頂けたらですが…」
「俺もちょっと話してみるよ。あの母さんと」
「藤田様がですか?なぜ…」
 意外そうな声だった。
「そりゃ…あの子がセリオを怖がらなくなった方が、あの母さんも嬉しがるだろ。ま、そんなに話がわからなさそうな母さんじゃなかったし、セリオが言うだけでもオッケーしてくれそうだけどな」
「いえ、なぜ藤田様がそこまで…」
 セリオは再度問う。聞かない方がいい、といった配慮が存在していないわけだが、あまりに純粋な口調だったので、浩之は特に気を悪くすることはなかった。
「なんでかって…そうだな…」
 はぐらかせないと踏んだのか、説明を探す。
「マルチの時、こんなロボットが世界中に広まったらいいって思ったからな。セリオがうまくいかなくて、世間がロボットの能力に疑問とか持ったら、研究がストップしちゃうかもしれないだろ」
「そうですか」
 セリオは言った。本当に理解していたのかはわからない。ただ、判断不能時にそういったメッセージを出力するように設計されていただけなのかもしれない。
「そうそう。頑張れよ。最新型なんだからな」
 しかし浩之は相槌を打ちながらセリオの肩を叩いていた。そんな疑問など無いとばかりに。
「はい。早苗様にも期待されておりますし」
「…お、噂をすれば」
 公園の向こうの方から、さっきの親子が歩いてきていた。
「それでは、藤田様…」
「いや。さっき言った通り、あの母さんにちょっと話してくるわ」
 浩之は立ち上がる。
「じゃあ、セリオはここで待ってな」
 座っているセリオを見ながら言った。
「はい。申し訳ありません、藤田様」
「いいって。俺がやりたくてやってるだけなんだから」
 芝生のところに立ち上がろうとしているセリオを置いて、浩之は母子の方に歩き出す。
 母と子はさっきのやり取りがなかったかのように楽しく話し合っていた。
「あの、すいません」
「はい?」
 浩之の、やや丁重だがはっきりとした声に、母親、早苗が振り向く。
「えーと、さっきセリオと一緒に歩いてましたよね?」
「ええ…」
「俺、父親がロボット関係の仕事についているんですけど」
 浩之は出まかせを言った。
「さっき、セリオがトラブっていたみたいで。気になっちゃったんですよ」
 それは事実である。
「いえ…この子が我が儘を言っただけですから」
 早苗は真奈美の方を困ったように見ながら言った。真奈美の方はまるで気にした素振りも見せず、長身の浩之の事を物珍しそうに見ている。
「いや、セリオの口調には結構問題あると思うんですよ。それで、父親から聞いた話なんですけど、この子のいつも読んでる本とか、セリオに読ませてあげてくれませんか?」
 一気に言った。
 初対面の人間がしゃべる内容にしては、随分と込み入った内容だったかも知れない。だが、早苗は少々戸惑った表情を見せつつも、特に警戒心などを持ってはいない様子だった。
「本、ですか?」
 落ち着いた、自然な口調で言う。
「そうです」
「全部絵本ですけれど…」
「それでいいんです。世話をする人間がどういう言葉に触れているかってのが、ロボットにとって重要な情報になるらしいんですよ」
 これも出まかせだが、早苗は納得した顔で聞いている。
「そうですか」
「試してみてくれませんか?」
 浩之は真剣な目になっていた。不安感を与えないよう、表情自体は柔和(にゅうわ)になるように努める。
「そうしてみます。実は、私、一ヶ月後に日本を離れるもので」
「え?」
「この子の世話をずっと見てくれる人がなかなか見つからなかったもので、セリオを買ったんです。出来るだけ、セリオにこの子がなついて欲しいとは思っていたんですけど」
「そ、そうですか。じゃあ、本当にセリオにきちんとしてもらわないといけないですよね。仕事の合間とか、セリオにそういうの読ませてあげてくださいよ」
 恐縮したような言葉。もはや、自分の身内の話をしているようだった。
「ええ。そうしてみます」
「家事の合間とか、大した時間でなくてもいいと思いますから」
「いえ、セリオは家事仕事を本当にてきぱきとこなしてくれますから。それ以外の時は電源を節約して寝ているみたいなんです」
「あ…そうですか」
 浩之はセリオが家事をこなしている様子を頭に浮かべてみた。マルチみたいな失敗などする事なしに、本当にあっという間に済ませていくのだろう。もっともセリオの価格を考えれば、ただの家事ロボットとしては高すぎるのは間違いない。
「ですから、その時にセリオが絵本を見ていれていればいいと思います」
「はい。そうしてみてください」
「わざわざすいません、色々と」
「いや、大した話じゃないですから。セリオのミスは父親の責任ですし」
 浩之は、父親=開発者という嘘を未だに引きずっていた。
「そんな事は…」
「じゃあ、ちょっとまたセリオと話してきます」
 浩之は母子に背を向け、芝生の上で直立したまま待っているセリオに向かって走っていく。
 セリオは浩之が走ってくる間、浩之の事をじっと見ていた。
「おい、セリオ」
「はい」
「いいってさ。仕事の途中に見ても」
「そうですか。ありがとうございます」
 セリオは深々とお辞儀する。
「いいんだよ。それより、きちんとそこから勉強しろよ?内容がバカみたいでも、あの子がどういう風にすれば喜ぶか、しっかり読みとらなきゃならないんだからな」
「努力します」
「それと、一つ忠告しておくけどな。絵本に書いてあるみたいにしゃべればいいってわけじゃないぞ。それ、かえって不気味だからな」
 そこまで思考回路が単純なのかはわからなかったが、少々不安があった。
「わかりました」
「でも、絵本をあの子に読んで上げる時は子供っぽい口調でもいいとか…まぁ、その辺の調整はじっくり考えてみてくれ」
「試行錯誤も必要かと思いますが」
「うーん。まぁ、あの子が完全にセリオを嫌いにならないレベルでやめとけよ。少しでもあの子が嫌がってそうだったらやめるとか」
「…処理能力がついていく限り」
 やはり、人の表情判断などは難しい処理に入るようだった。
「よし。頑張れ。あとさ、出来れば今度どっかで会えるか?結果がどうなったか聞いてみたい」
「早苗様は、ほぼ毎日真奈美様を連れてこの公園にいらっしゃいますが…時間も、おおむねこの時間です」
「じゃあ、たまにこの公園来てみるわ」
 大学の講義スケジュールを考えても、週に4,5回は来れるだろう。
「ええ。しかし、藤田様、なぜそこまで?」
「さっき言ったじゃねーか」
「…そうですか…」
「さ、行った行った。自分のご主人が向こうにいるのに無駄話してちゃダメだろ」
「…はい。失礼します」
 セリオはもう一度深々とお辞儀して、母子の方に小走りで駆けていった。浩之は早苗に軽く会釈する。早苗も会釈を返した。
「おねがいします」
 浩之は口の中でつぶやいていた。
 早苗が真奈美に何か促すと、真奈美はやや不満そうな顔をしながらもセリオの手をきゅっと握る。
 ただ、右手でセリオの右手をつかんだため、反対向きになってしまった。早苗は笑いながら真奈美に逆だと告げる。
 真奈美がきょとんとした顔をしながら手を離すと、セリオは母子と同じ方向に向き直った。そしてセリオがそっと左の手を差し伸べると、真奈美がその手を握る。
 母子とセリオは、公園に来た時のように一列に手をつないでいた。そして、真奈美を真ん中にして、ゆっくりと歩いていった。
 空は、まだ明るく風も涼しい。昼下がりだ。
 浩之は3つの後ろ姿を見ながら、また会釈した。3人から見えるはずはない位置だったが–––
 見えなくなるまで見送ってから、浩之は大きく伸びをした。


 2日後の公園。セリオが、早苗に何事か告げてから走り出した。
 真奈美はセリオの走っていく方向を見て、
「あ、こないだのお兄ちゃん」
 と言う。どこか嬉しそうだった。
「藤田様…」
 セリオは浩之のすぐ近くまで来て呼びかけた。
「よ。来てみたぜ。まぁ二日じゃまだまだ読み始めたってとこだろうけどな」
「いえ、真奈美様の本は全て読ませて頂いたのですが」
「あ…そうか。そうだよな。読むだけならすぐだよな」
 浩之はセリオが全てのページをメモリーにインプットしていく様子がありありと想像できた。
「で、なんかヒントがつかめたか?」
「とりあえず…文章が非論理性に満ちている事に驚いてはおりますが」
「なるほどな」
 浩之は納得する。しかし、それほど悪い方向に向かってはいないと考えた。
「そうだよ。非論理的な方がいいこともあるんだよ」
「しかし、どの語彙を選択するかという判断は論理的なプロセスを経なければ成立しません。非論理的なものを論理体系の中に組み込むわけには…」
「うーん…とりあえず、そこに使われている言葉を、あの子と話すときに優先的に使うとか出来ないか?少しくらい変な言葉使って、笑われたっていいからさ」
「真奈美様が笑われるという事は、私へのマイナス評価という事ではないでしょうか?」
 恐らく、そういう判断をプログラミングされているのだろう。心理学データベースなどへのアクセスを制限して、代わりに単純化された心理判断プログラムが組み込まれているのだ。
「そうとも限んないんだって。親近感感じる可能性も高いぞ。少なくとも、怖がられるより笑われた方がマシだろ」
「ええ…」
「それで本当にいい反応が返ってきたら、その言葉の点数を高くするとか。そういうの出来ないか?」
「データベース構築機能は存在します。そういったデータベースを構築する事は可能ですが、それを有効に活用できるかどうか…」
「どういう状況でどういう言葉がウケたか記録してみろよ。次に同じような状況になったら、また同じ言葉使ってみるとか。それでウケなかったら、前と何が違ったか分析するとかさ」
 浩之は随分と滑らかな喋り方をした。まるで前から用意してあった言葉のようだ。
「わかりました。その方向でプログラムしてみる事にします」
「おう。じゃ、また今度成果を聞かせてくれよ」
「はい」
 セリオは母子の方を向く。真奈美も早苗も、セリオ達の方をずっと見守っているようだった。
「あの母さんに挨拶しておくかな…」
「そうですか」
 浩之を先にして、二人は母子の方に歩き出す。
 真奈美は相変わらず浩之に興味を持っているようだった。身長差が1m弱もあるのに、思い切り顔を上げて浩之の事を見ている。
「どうも。こないだは。セリオ、多少は勉強になってるみたいですね」
「わざわざありがとうございます。30冊もあった本を1日で読んでしまって、驚いてしまったんですけど…」
「まぁ、その辺はロボットですから。データ入力は得意ってことですよね」
「本当に」
 早苗は微笑む。
「変化があるまで、時間かかるかもしれませんけど。本を全部読んじゃったなら…そうだなぁ、もし手間じゃなかったら図書館とかで本を借りてくるといいかもしれませんね」
「そうですね。せっかくですから、真奈美にもいろいろ本を読んであげようと思っています」
「その内、セリオにも朗読させてくれませんか?最初はすげぇヘタだと思いますけど」
 棒読み…に近いのだろう。たぶん。
「わかりました」
「よろしくお願いします。あ、そう言えばまだ俺名乗ってませんでしたね。藤田浩之っていいます。大学生です」
「あ、私の方も…私、服飾デザイナーをしております、和嶋早苗と申します。娘の真奈美です」
 やはり、早苗は自分で職を持っている人間だった。
「そうか、よし、真奈美、今セリオは勉強中だからな。真奈美が怖がらないように、言葉の勉強してるところだからな」
 浩之はかがんで、真奈美と同じ高さに視線を持って行った。真奈美は興味津々に浩之の事を見つめ返す。
「よし、真奈美、セリオを頼んだぞ」
 浩之は、おもむろに真奈美を抱えて高く持ち上げた。要するに「たかいたかい」だ。
「わー…」
 真奈美は驚いたような声を上げたが、すぐに嬉しそうな顔になった。浩之が身体を持ち上げる度に「わー!」と声を上げて、下ろす度に笑い転げる。
「ありがとうございます、藤田さん」
 早苗が言った。早苗は嬉しそうだったが、どこか陰りも交えた複雑な表情をしている。
「よしっ。これで終わりな」
 最後はひときわ高く身体を持ち上げ、少し宙に投げるようにした。そして浩之は真奈美を地面に下ろす。
 とんっ。
「真奈美、藤田さんにありがとうしなさい」
「ありがと、ヒロユキおにいちゃん」
 きちんと名前を聞き分けていたようだった。3,4歳のようだったが、真奈美はそれなりに賢い娘なのかもしれない。
「じゃあな。セリオ、頑張れよ」
「はい」
 ずっと後ろの方に控えていたセリオが、浩之に向かって礼をした。
「藤田さんは、ロボット関係の方に進まれるのですか?」
 唐突に早苗が聞いてくる。
「え?あ…まぁ、そういう方向も考えていない事はないですけど」
「そうですか。大学のお勉強、頑張ってくださいね」
「いや。大学生はヒマの固まりみたいなもんですから」
「また、どこかでお会いしたいですね」
「俺もこの辺りぶらぶらしてる事が多いですから。じゃあ、セリオをよろしくお願いします」
 浩之はそそくさと立ち去ろうとした。
「ばいばい、ヒロユキお兄ちゃん」
 真奈美が手を振った。
「おう。じゃあな、真奈美、セリオを頼んだぞ」
「うんっ」
 元気に返事をしていたが、その後セリオを見た真奈美の視線にはまだ不信の念があるようだった。


 それから、浩之は三日に二回ほど公園に出かけ、三回に二回はセリオ達と出会っていた。
 セリオが読んだ絵本の数はどんどん増えていった。浩之の勧めで、心理学や哲学の本などにも手を出させた。
 セリオはかなり混乱したようで、判断の速度もだいぶ落ちてきたようだった。小さな判断をするのにも、膨大なデータを読み込みにいってしまうのだ。最初のような、はきはきした様子は無くなっていった。5秒以内の判断というのもほとんど守られなくなった。
 ただ、家事などの決まり切った作業にはほとんど支障をきたさなかったようで、それは幸いだった。
 真奈美の方はセリオと無関係に浩之に興味があるようで、浩之と会う度に遊んでもらっては喜んでいるという様子だった。浩之の方も子供が嫌いなわけではないので、遊んでやる時間も長くなる。
 公園で会うのは、セリオの状況の説明というより和嶋家と浩之のコミュニケーションの場のようになりつつあった。
 それでも。
「なぁ、真奈美、セリオまだ怖いか?」
「ううん、最近は怖くなくなったよ」
「そうかっ、そりゃよかった」
「きゃー!」
 浩之が思いきり宙に真奈美を放り投げた。落ちてきた真奈美をキャッチする。
「あー…怖かった」
「いいんだよ。セリオが怖くなくなったんだから」
「うん」
 わけのわからない会話だったが、真奈美はうなずいた。
 浩之はセリオの出した結果に、それなりに満足していた。最近では、浩之が真奈美と遊んでいるのをベンチに座った早苗とセリオが見ているという具合になっている。
 しかし…
「藤田様」
「なんだ?セリオ」
「少し、よろしいですか?」
「ああ」
 真奈美を早苗がトイレに連れて行って、浩之とセリオだけになった時、セリオが話し始めた。
「真奈美様の事なのですが…」
「怖くなくなったって言ってたぞ、真奈美。早苗さんが海外行っても、セリオだけでやっていけるようになったんじゃねーか?」
 ベンチの横に座っていた浩之が返す。
「確かに、怖くないと言っていただけるようにはなりました」
「じゃ、御の字だろ。真奈美自身がそう言ってるんだし」
「ですが。藤田様」
「なんだ…」
 セリオの口調が、久々に固いものになっていた。
「むしろ、私自身は、真奈美様の前での判断が遅くなったというだけで、真奈美様が積極的に喜ばれるような事は何一つしていないのではないかと思うのですが」
「そりゃぁ…お前さ」
 浩之がやや口ごもりながら返答する。
「やっぱ、なんでもかんでもあっという間に答えてくるのって、子供にとっては怖いんじゃないかと思うぞ。なんでこいつは何でもすぐに答えられるんだって…」
「ですが…」
「ほら、子供って、好奇心で出来てるみたいなもんだから、なんでもあーじゃないかこーじゃないかって考えるんじゃねーの?すぐに答えるって感覚が理解できないとか」
 セリオは黙ってしまった。
 浩之は一方的にしゃべった形になり、やや気まずくなる。
「…俺は、そう思うけどな…」
 チチ、チチ、と鳥の声が響いた。風は無い。人もあまり多くない。
 セリオと再会してから、もう20日以上が過ぎている。
「真奈美様は、藤田様を信頼していらっしゃいます。藤田様に、はっきりと好意を抱いていらっしゃいます」
「そりゃあ…そうだな」
 「好意」という言葉は差し引いて考えておく事にした。
「そして、藤田様は幾度も真奈美様に、私の事を怖がらないようにという事を示唆されました」
「………」
 ぎゅっと浩之は拳を握りしめた。
「藤田様の事を批判しているわけではありません。ただ、私単独の力で真奈美様を十分にお世話させて頂けるかと言うと…」
「でもな、セリオ」
「真奈美様の私に対する好意は、藤田様への好意の延長なのではないでしょうか?」
 今度はセリオが一方的に言う番だった。
「…はぁ」
 浩之は嘆息する。
「気分を害されましたら申し訳ありません。しかし、現状のまま真奈美様をお世話した場合、成功するかどうかという判断が…」
「別にさ、セリオ」
「…はい」
 セリオは神妙な顔になる。
「俺は真奈美と遊ぶの嫌じゃないし、早苗さんが行った後にも真奈美と遊ぶようにしたっていいだろ?もし真奈美がセリオを好きだってのが錯覚だったとしても、真奈美自身がとりあえず満足しているんだったらいーじゃねーか」
「………」
「実際、人間の感情なんて錯覚みたいなところも大きいんだし。周りと本人が好きだって思っているなら十分だろ」
 セリオは黙り込む。浩之も黙り込む。
 浩之が絵本を読むことを提案した時と同じように、二人は並んで目を閉じていた。そして、各々の考えにふけっていた。
「藤田様が」
 しかし、今回沈黙を破ったのは、セリオだった。
「藤田様が…最初に私に指針を示してくださった時は、藤田様が人間の心理について何か確信のようなものをお持ちのように思われたのですが」
「そんなに簡単に人間の心理がわかるわけないだろ…俺は、ただ子供が喜びそうな方向を考えただけだ」
「そうですか…」
「いいよ。早苗さんが行ってからも、俺ちょくちょく真奈美と遊ぶようにするから。セリオがこの公園に連れてきてくれよ」
「…はい。申し訳ありません」


 早苗が発(た)ったのは、それから4日後だった。
 最後に公園で会った時、「真奈美の事、できるだけ見ておくようにしますから」と言った浩之に、早苗は幾度も礼を言った。出発の直前にも電話をかけてきた。
 その時、もはやほぼ浩之も感づいていた事、真奈美に父親がいないという事実が知らされた。
 しばらくして、海外から『学費』という名目で送られてきた20万円を、浩之は送り返すわけにもいかなかった。青いボールペンで書かれたエア・メイルの筆記体アルファベットが、浩之をますます臆病にした。
「ほらっ、真奈美」
 ぱしっ。
「おっ、取れたな」
「すごい?」
「あー、すげーぞ、真奈美」
 フリスビーを両手で一生懸命に受け止めた真奈美。
 真奈美の屈託ない無邪気さは、浩之にとって救いだった。少なくとも、公園で遊んでいるその時だけは、何も考えないでいられるのだ。真奈美は喜ぶし、セリオの事を聞いても好意的な反応だけが返ってくるのだ。
 だからこそ、遊んでいる以外の時間、浩之は自分が非常に欺瞞的な人間であるような思いに駆られ続けていた。
 ピンポーン。
 そんな時、インターフォンが鳴った。
「はい…」
『藤田様。私、セリオです』
「あ?セリオ?」
『はい…突然伺って申し訳ありません。少々お話ししたい事がありまして』
「あ…ああ」
 浩之は少々驚きつつも、玄関に向かった。
 がちゃ…
 そこにいたのは、果たしてセリオだった。
「セリオ…」
「申し訳ありません。偶然この辺りを通りかかったのですが、藤田様のご自宅が近いという事を思い出しまして」
「いいのか?真奈美は」
「真奈美様は、もうお休みになられました」
「そうか…健康的でいいな」
 夜の9時を回ったところだった。
「なんか、話があるんだろ?あがれよ」
「恐れ入ります」
 セリオは靴を脱ぎ、上がってくる。
「………?どうか、されましたか?藤田様」
 セリオが上がってくる様子を、浩之はじっと見ていたのだ。ひどく悲しそうな瞳に見えない事も、なかった。
「いや。なんでもない」
 浩之はくるりと向きを変えると、何事もなかったかのように居間に向かって歩き始めた。セリオもそれに続いて歩いていく。
「でも、よくわかったな、ここ。住所からか?」
「はい。早苗様がメモを残されていましたので」
「そっか」
 浩之は早苗に電話番号と住所を教えていたのだ。ただ、その時は手帳か何かに控えていたように思う。早苗はわざわざセリオに住所を教えていったらしい。
 かちゃ…
 居間のドアを開ける。
「ここでいいよな?」
「はい、もちろん」
 浩之はすぐにソファに座った。飲み物で接待する必要がない相手なのだ。
「失礼します」
 セリオも、浩之の向かいに腰掛ける。
「今、俺一人だから。特に気を使わなくても大丈夫だ」
「はい」
「それで?話って?真奈美のことか?」
「いえ…むしろ、私自身のことです」
「セリオの?」
「はい」
 浩之にとっては、意外な答えだった。
「あるいは、浩之さんの事と言ってもいいかもしれません」
「俺の?」
「はい」
 ますます意外な答えだ。
「よく、わからないんだが…」
「説明させてくださいますか?」
「…ああ」
「ありがとうございます」
 まず、セリオは座ったまま深く礼をした。
「真奈美様は、ご存じの通り早苗様がいらっしゃらないにも拘わらず非常に元気にされております。私のことも、信頼してくださる旨の事をおっしゃってくださいます」
「ああ」
「しかし、それは藤田様の好意の延長である可能性が極めて高いこと…それは、藤田様も同意なさったはずです」
「ああ…でもな、セリオ」
「ええ。錯覚であっても藤田様は許容されると、そうおっしゃいました」
「そうだ。それで問題はあるか?」
 浩之が少し視線を上げて言う。
「しかし、藤田様は最近非常に疲れていらっしゃるように、私には見えます」
「俺が?」
「ええ。真奈美様と遊んでいる時ではなく、私達が藤田様と別れる直前や、真奈美様が少し遠くに行っている時など…真奈美様を介せずに私が藤田様にお会いしている時、藤田様は非常に疲れた顔をされております」
「別に、真奈美と遊ぶので疲れてるわけじゃねーよ…」
 疲れた声で言った。
「私も、そう思います」
「………」
「端的に申し上げます。藤田様は、私が単独で真奈美様に受け入れられるという目標に頓挫された事で、脱力感を感じられているのではないでしょうか?」
「…心理学の本に書いてあったか?」
 多少意地悪さの混じった声だった。
「ええ。そういった知識を利用させて頂きました。ある程度の範囲までは、非常に論理的な解を導き出す事ができる体系のようです」
 しかし、セリオは正直に答える。
「だろうな…」
「もっとも、なぜ藤田様が、私が真奈美様に受け入れられる事にそこまで固執されるのかはわかりませんが。ですから、その点に関しては私は判断しない事にいたしました」
「だから、ロボットをだな…」
「いえ。以前藤田様がおっしゃった内容はメモリーに残っております」
「そーか」
 浩之はやや投げやりな口調で言った。
「しかし、この状況は公平ではありません…私は真奈美様のお世話をするという仕事を満足に遂行できていないのに、単独で仕事を遂行したかのような評価を受け、藤田様は苦しんでおられる。にも拘わらず、私は今藤田様のサポートをお断り出来る状況にない。このままでは、藤田様が苦しむだけの関係となってしまいます」
「いいんだよ…てめぇが好きでやってるんだから」
「ですから、私が単独で藤田様にお返しをして差し上げるという関係も構築する事が必要だと私は考えました」
「なに?」
 セリオは立ち上がる。
「私にできる事は限られておりますが…藤田様はお若いですし、私に備わっている機能の中ではこれが最も有効だと思われますので…」
 忍び寄るようなステップで、セリオはガラスのテーブルを回り込む。そして、浩之の横に来る。
 浩之はドキっとした。セリオの言葉と行動が一つずつ噛み合って、意味を成していった。
「まってくれ…」
 どこか苦しそうな素振りすら見せて、浩之は言う。
「お嫌ですか?」
「いや…生理的な嫌悪感じゃない…」
「でしたら…」
「………」
 浩之はどこか呆然とした顔になる。
 かなり長い間そうした後で、「はぁ」とため息をついて膝の間に両手をだらんと垂らした。
「俺、今、だいぶ弱くなってるからな…」
「私のことでですか?」
「いや。ちょっと別方面でもあってな。1ヶ月前にセリオと会った時より前の話だけど」
「そうですか…それで、藤田様」
 セリオが言葉を切る。
「よろしいですか?」
「ああ。頼む。でもここじゃなくて、俺の部屋に行こう…」
「…わかりました」
 まだ、浩之の態度はどこか煮え切っていなかった。
 それでも何とかソファを立ち上がり、廊下の方に歩いていった。セリオはここまでの饒舌が嘘のように静かになり、ひっそりと浩之についていく。


「散らかってるけどな。勘弁してくれ」
 振り向いた浩之が言う。
「いえ」
 そう言うと、早くもセリオは体勢を低くした。
「通常のセックスの機能も備えておりますが。そちらは付加的なものとされております。私が得た知識などからも推測すれば、恐らく心理的なものにも関わるためだと思われますが…」
「なるほどな」
 つまり、あまりにもひどい「マグロ」なわけだ。
「ですから、フェラチオで処理させて頂きますが。よろしいですか?」
「ああ」
「失礼します…」
 セリオが浩之の黒いハーフパンツに手をかけた。ゆったりとした生地のそれを、ずるずると引き下ろしていく。早くも屹立しているペニスが、グリーンのトランクスを勢い良く突き上げている。
 何の躊躇もなく、セリオはトランクスの裾をつまみ、引き下げた。一緒に途中まで引きずり下ろされたペニスがぶるんと震えて、露わになる。
 ペニスを半分覆っているTシャツを片手で持ち上げてから、ぱくりとくわえた。
 ぬめった感触。人肌。唇と舌の柔らかいタッチ。無論浩之にとってこういう性行為は初めてだったが、セリオの口唇は人間と寸分変わらないという確信を抱かせるのに十分なものだった。
 頭全体を動かすようにして、ゆるゆるとした上下運動が始まった。そのたびにセリオの長い髪がさらさらと揺れる。それが時々浩之の内股を掠めて、繊細な刺激を加える。
 セリオは下を向いていた。それは表情が見えないようにという配慮なのだろう。恐らく、今のセリオの顔はいつもとほとんど変わらないものであるはずだった。確かに真っ向から抱き合っても、あまり楽しい事にはならないだろう。
 だが、少なくとも表情が見えない限り、そういう事はない。
 ぺちゃ。ぬちゅ…
 セリオが舌でペニスの先端を丸め込むようにする。浩之は少し眉をしかめながら、痺れるような快感を感じる。
 舌と口唇は、極めて器用な動き方をしていた。タッチもソフトなものからハードなものまで、自由自在だ。
 上下運動も、段々と深く、速いものになってきている。最初はペニスの真ん中ぐらいまでしか来ていなかったのに、今では唇が睾丸に一瞬触れるくらいのところまでくわえ込んでいる。しかも、息をする必要がないから、ノー・インターバルで続けているのだ。
 ちゅぼ。ちゅぼっ、ちゅぶ…
 頭を動かすというより、振るという感じの動作になってきた。髪の毛も激しく揺れ、ランダムな動きで浩之の性器の周辺を襲う。
 快感が高まるほどに、段々と浩之は思考が鈍くなってきた。そうすると、セリオの表情が無表情だという事にあまり頭が回らなくなってくる。むしろ単純に、恥ずかしがっている顔、嫌がって泣いている顔、あるいは悦んでいる顔の方がセリオの行為と結びついてしまう。
 浩之はセリオの歪んだ表情を見たことはなかったが、いざ想像しようとすればそれは容易なものだった。そして、やはり羞恥の顔・泣き顔でフェラチオをしているという妄想が、浩之のペニスに力を与えていく。
 少し肥大化した浩之のペニスを、セリオは苦もなく舐め立てた。口腔による抽送、それから雁首の辺りの舌先によるくすぐり。
 敏感になってきた睾丸の表面にまで、指が優しい愛撫を加えていた。
 浩之は余裕が無くなってきていた。だいぶ速い。確かに一級品のフェラチオであるようだった。
「セ、セリオ…俺、もうすぐ」
 浩之の情けない声にセリオは答えず、ただ一心不乱に絞り出すような抽送の動きを始めた。
「い、いいんだな?口の中に出しても、大丈夫なんだな」
 ぐちゅっ、ぐちゅっ、ぐちゅっ、ぐちゅっ…
「………」
 びゅっ!
 浩之は欲望の液を吐き出した。
 びゅ、びゅ、びゅ…
 吐き出されたそれを、セリオは一滴も漏らさずに受け止める。脈動が止まると、ぎゅーっとペニスをしごいて残った液を出す。
 ごく、ごく…
 セリオは下を向いたまま、嚥下の音を立て始めた。
 そして、やや俯いて立ち上がる。
「飲んで大丈夫なのか?セリオ」
「ええ、この程度の量でしたら蓄える機能が」
「なるほどな…」
「藤田様…満足して頂けましたでしょうか?」
「ああ。最高だ」
「そうですか…ありがとうございます」
 浩之に向かってお辞儀。浩之はきまり悪くなって、慌ててトランクスとズボンを引き上げた。セリオは精液をこぼしていなかったから、ペニスが汚れている心配はない。
「少し拭かれた方が…濡れております」
「いいって」
「そうですか」
 浩之はトランクスとハーフパンツをしっかりと元の位置に戻す。
「じゃ、セリオ……?」
「………」
 セリオはいつの間にか、浩之の部屋の一角を真剣な眼差しで見ていた。
「どうかしたか?」
「藤田様。あれは…」
「あ?……あ。ありゃ…バレたか…」
 セリオが見ているのは、一枚のDVDディスクだった。何の変哲もないケースに入ったメタリック・エメラルドのDVDだったが、セリオはそれが何であるか知っているようだった。
「あんなもの、まだ転がってたんだな。全然気づかなかった。しまうのも忘れてたんだな…」
「藤田様、HM−12の本体は…」
「押し入れん中」
「なぜですか?」
「ん。マルチの…プロトタイプのつもりで買ったのがいけなかったんだよな…俺がバカなんだけど」
「………」
「最初に起動したときに、嫌になっちゃってな」
「確かに、プロトタイプのHMX−12と量産型のHM−12では大幅な仕様変更が為されたようですが」
 すぐに答える。セリオはこのデータの優先度を上げていたようだった。
 浩之はふぅ…と大きなため息をした。
「なぁセリオ、このHM−12、マルチにならないか?」
 期待していない声。
「わかりません…大幅なデータの変更が為されているのは間違いありませんが。データの書き換えと、場合によっては、記憶メモリーの増設…それによって、変更可能である可能性も…」
「そっか…ただ、それって俺と出会った後のマルチじゃないんだよな。でも、それでもいいや…って、そんな事できるわけないんだけどな。俺はただのHM−12の1ユーザーでしかないわけだし」
 自嘲気味に言った。
「藤田様」
「なんだ?」
「HMX−12と藤田様のご関係…聞かせて頂いてもよろしいですか?」
「別にいいけど…」
「恐れ入ります」
「なんでだ?」
「いえ。HMX−12についてのデータをいくつか知る内に、人間の心理についての判断処理を行う際に有用な情報が得られるのではないかと思うようになりまして」
「そっか…つまんない話かもしれないぞ」
 浩之はどっとベッドに腰を下ろした。セリオも、その横にすっと座る。
「あれは…俺が高二になった時で…」