サッキュヴァス・セリカ 〜淫魔の呪い〜 その4


(この文章は、ファンタジーノベルスの文法に慣れている方にお薦めします(^^;)

 ミュークとセリカは城門を抜けた。
 しかしセリカの傷心(しょうしん)は未だ存在を保ち続けているようだった。新たな街に向かおうという時の清新な気持ちを浸食するほどに。これまでの旅においては街から街への遍歴に純粋な喜びを見出していたセリカにとって、これは少し不可(いけ)なかった。
 だから、セリカは城門を抜けた瞬間、街を一度振り返ってしまった。あり得ないことだ。
 城門を守っている若い兵士が軽く視線を上げる。先ほどセリカ達が隣を通り過ぎた兵士だ。手には槍。
「…セリカ」
 ミュークが言う。
 ただ名を呼ばれただけなのに、セリカはたしなめられたかのようにばつの悪い顔をした。
 ととっ、と2・3歩小走りになってミュークに並ぶ。
「ふぅん…」
 わざわざ感嘆詞だけをミュークは送り込んできた。
 セリカは怒りも嘆きもしない。セリカがこれまでずっと独りでしてきたような、淡々とした歩みを回復している。
 空はさらっと晴れ渡っていた。
「いいお天気だね〜」
 ミュークがほわんとした口調で言う。この地域の気候は、あまり激しく変わる事が無かった。そういう場所を主に選んでセリカは旅している。術で寒暖の差を調整することは簡単なのだが、その場所その場所の風を直接肌に感じるのが好きなのだ。
 あるいは、厳寒の地で育ったセリカの憧憬が今でも引きずられていると見てもいいかもしれない。
 さぁぁぁっ…
 そんな意地の悪い詮索を洗い流すかのように、爽やかな風が吹いた。ポニーテールの先が軽く揺すられ、マントがぱたぱたとはためく。ミュークの毛並みも風に流される。
「気持ちいい風だな」
「………」
 セリカは同意した。
 穏やかな風土に合わせたかのような他愛のない会話がそうして続いていく。こんなところで育ったならまた別の生き方が生まれていたかもしれない、などという想像を育むほどに。
 いつの間にか、一日の中点まで達そうとしていた。
 視界の向こうに小さく見えていた森が、もうだいぶ近づいてきていた。街道が森を突っ切っているのだ。
「…?」
「あれ?」
 セリカとミュークは会話をやめ、はるか前方に視線を飛ばす。
「なんだろ?」
 ミュークは言った。森の入り口のあたりに旅人達がたむろしている。そのうち何人かはこちらに戻ってきている様子である。
 声などはとても聞こえる距離ではないが、雰囲気を見ればあまり良い事態が進行しているようには見えない。
「なにかな?セリ…カ?」
「……………、………!」
 ばしゅっ!
「うわーっ!」
 ミュークの問いに答えず、セリカは大きくスタッフを回しながら術を放った。セリカの身体とミュークの身体を同時に巻き込む巨大な結界。それを全部浮遊魔法で浮き上がらせたのだ。ミュークはバランスを失って結界の中にころんと転がる。
 びしゅぅ…っ
「わ、わ、わっ」
 そのままセリカは一気に加速をつけた。ミュークの身体はぼよんと結界の後方に叩きつけられる。弾力のようなものがあるのでダメージはないはずだが、ミュークは完全に面食らっていた。
「な、なに?どうしたの、これ?」
 結界の後ろに張り付くようにしながら問う。もうスピードはほぼマックス、250km/hをオーバーしようとしていた。一瞬でここまでのスピードに達した加速度を考えれば、多少の慣性制御は行っているのかも知れない。
「え?盗賊?」
 セリカ達は一瞬にして森の入り口を越えていた。森の木の頂点、そのすれすれの辺りを飛行していく。人の手が加わっているのか、木の高さはほぼ一定だった。
「あ…あれかな?」
 すぐに、7,8台の馬車が連なった列が見えてきた。
 しゅっ!
 セリカは一気に減速する。
「わー…!」
 ぼてっ。
 ミュークは、今度は結界の前の方に叩きつけられて転がった。
「…………、………、…………、………………、………………!」
「あ、ほんとだ…襲われてる」
 馬車に乗り込もうとしている数々の盗賊達の姿をミュークが認めた瞬間。

ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!

 凄まじい音響がこだました。
 周囲の視界が、一瞬完全な紫の色に染まる。

がどぅんっっ!

 爆発音にも似た音。
 しかし、その瞬間地で起こったのは、強烈な電撃だった。無数の紫のスパークが、森の中に弾けたのだ。極めて広範囲にわたって。逃げ場などあるはずもない。かなり高いところにいるセリカ達の目から見ても、相当に広い範囲として認識されているのだから。
 にも拘わらず、街道の部分はスパークから聖域のように守られていた。
 しゅん…
 セリカは結界を急降下させる。ミュークは慌てて自分で姿勢制御をした。ミュークの身体が結界の中でふわふわと浮く。
 みるみるうちに、馬車の周りの状態が見えてきた。
 硬直。それが一番ふさわしい表現だろう。誰もが静止していた。盗賊達も、連れ去られそうになっている娘達も。馬車の中にいると思われる人々がどうしているのかはわからなかったが、恐らく同じだろう–––もう、息の根を絶たれたのでなければ。
 セリカは男達の前で、びゅっ!とスタッフを振り上げる。そう、セリカの今浮かんでいる位置はほとんど全ての盗賊達が見ることの出来る位置だった。
 だだっ、だっ…だだだだだだだだっ…
 誰かが逃げ出した。すぐに全員が従った。バラバラの足音が響く。
 連れ去ろうとしていた娘も、武器も放り出して。
 悲鳴も上げない。完全に無言だった。全員、正体不明の恐怖に憑かれてしまったのだ。悲鳴を上げれば狙われると言った考えなど、あるはずもない。ほとんどの男達の思考は真っ白になっていたはずだ。
「………………………………!」
 セリカが呪文を唱える。声は相変わらず聞き取れなかったが、どこか断定的な様があった。

しゅるるるるるるるっっ…
 
 セリカの結界の周りを、無数の光弾が覆う。それが勢い良く加速をつけて、バラバラに飛んでいく。
 その光弾は、逃げていく男達のひとりひとりを正確に追撃した。
 背中に光弾が直撃する度、盗賊達はびくんっ!と身体を震わせて地面に崩れ落ちる。中には森のかなり深くまで逃げていた者もいたが、等しく同じ運命をたどった。
 後には、一言を発することも許されず死に赴いた盗賊達の死体が累々と並ぶことになる。
「…ひゅぅ」
 ミュークが口笛のような音を立てて感嘆した。
 周囲の森は、電撃で下草と木の根元の部分が黒く焦げているだけだ。魔族魔法(デモニック・マジック)、現実世界に現れることは絶対にない抽象存在としてのデーモンの力を直接具現させる魔法。物理的にはそれほどの影響を与える魔法ではないのだ。
 盗賊達を追撃したのは光条魔法と魔源探索の応用だ。
 しん、と静まり返っていた。
 セリカの視界の中にいる明らかに生きている人間、盗賊達から解放された娘達まで何も言おうとしなかったし、動こうとしなかった。
 馬車の中の人間達も、いくらなんでも全て殺されたという事はないだろうが…。反応はない。
 …ばしゅっ!
「え」
 ぼてっ。
 ミュークがまた結界の壁にぶつかる。
「ちょ、ちょっと…」
 セリカはぐんぐん加速した。馬車も焦げた森も一瞬で見えなくなる。
「な、なんで?」
 不思議そうな声。
「セリカ、あの人達を助けてあげたんじゃ…」
 森を抜けた。
 広い広い草原がある。
 セリカは街道を大きく外れた草原の一角に狙いを定めた。
 ぐんぐんと近づき、地面にぶつかりそうなところで一気に停止する。
「ちょっと…」
 ミュークはなんとかバランスを取った。
 ぱっとセリカが術を解く。
 とん。
 広がる柔らかな青草の中にセリカは着地し…そのままごろんと寝転がった。
「セリカ…?」
 仰向けになってセリカは天を仰ぐ。空は朝と同じように綺麗に澄み渡っていた。風もあった。土の匂いも、ここでは近かった。
「どうしたの…?」
 セリカは、何も言わなかった。言わなくてもミュークが心を読むのだ。
 ミュークはセリカの顔に近寄った。そして頬をぺろっと舐めた。心を読んだのか読まなかったのか。少なくとも、読んだ心について感想を述べる事はしなかった。
 土の匂い。厳寒の地で慈(いつく)しく思う事などないであろうものだ。春というものをほぼ感じる事が出来ない土地であったのだから。しかしセリカは、この風景と香りが織りなす世界のノスタルジックに浸った。
「すごいね、ここ…どこまで行っても草ばっかりだ…」
 不自然なくらいに。
 セリカは、結局日が傾くまでそうしていた。


 そして、夕刻。
 セリカ達が今朝後にした町とほとんど変わらない光景の中に、二人はいた。城壁の中にある、商業区域を中心とした街並み。この国のこの地域では、どこに行っても変わらないものだ。そこにあかりの幻想を求めるような安易なアナロジーにセリカは引っかからなかったが、もしあかりが突然姿を現したとしても全く不思議ではないほどに似通っているのだ。
「セリカ、疲れなかった?」
「…」
「そう。そうだね」
 浮遊魔法でスピードに狂うかのように飛ばしてきたのだ。日が完全に沈めば、容易には城壁の中に入れなくなるという事もあったのだが。兵士達に、お尋ね者のリストなどをチェックされた上で旅の目的などを聞かれる。後者はおまけのようなものなのだが、普通に話すという事を大の苦手にしているセリカはいらない誤解を招く事もしばしばなのだ。
 とりあえず、今日の所はぎりぎりの所でノーチェック。一人と一匹が城門を通過した。
 周りにも宿を求めて歩いていると思(おぼ)しき旅人の姿は多い。セリカのように能力だけを売り物にしてあてもない旅をする者がそこまで多いはずもないから、多くは商人達であろう。今日の昼に襲われていた馬車団も、商人達が共同で作ったものだったはずだ。
 まさかあのまま夜まで硬直していたはずもない、恐らく今頃はこの街のどこかに着いているはずなのだが…。
 会っても、絶対にわからないだろう。あの時セリカを見ていたのは連れ去られそうになっていた幾人かの娘達だけなのだ。
「ねー、セリカ?」
「?」
 セリカが顔を上げる。
 いつの間にかセリカは商業地域をほとんど通り過ぎそうになっていた。スラム街にかなり近い、ちょうど境界のような部分。商業地域と同じ通りに属しているのだから露骨に怪しげな店はないが、どこか裏寂れた雰囲気がある。
 路地を一本はずれれば、いかがわしい看板の数々を目にする事ができるだろう。もちろん、セリカはそんな物を実際に見たことなど無かった。接点があり得ない。
 一番賑やかな辺りに比べれば人間の数は多くなかったが、いないわけではない。そういう人間はほぼ例外なく路地の中に入っていった。ほとんどは旅人姿の男。残りは、露出を意識した服をまとっている女たち。
 道をそのまま進み、スラム街の方に行く人間はいなかった。逆に、スラム街からこちらに来る人間もいなかった。この時間帯だけなのかもしれないが、一種異様な隔絶感がある。事実、道もここまでは比較的まっすぐで整備されたものだったのに、この辺りから大きくカーブし始めている。まるで、スラム街側の世界を隠しているかのようだった。
 セリカはくるっと後ろを向いて歩き出した。
「どこまで行っちゃうのかって思ったよ…」
「……」
「いや、別にボクはどこでもいいんだけど」
 歩いている内に、宿もいくつか見えてくる。ただ、やはり一番賑やかな辺りに比べれば少々怪しげな雰囲気を醸し出しているのは否定できなかった。恐らく、その中には出来上がったシステムがあるだろう。男が女を呼ぶための。路地を入ったところにあるような直接的なものではないにしろ。
 セリカは、そういったシステムを利用しているところを目撃した事はあった。酒場圏食堂から出ていく、宿の女と泊まり客の男。
「あーーーーっ!」
「?」
「ん?」
 突然大きな声が上がった。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!なんでアンタがこんなとこにいるのよ!」
 「アンタ」はセリカを指している…らしい。
 薄紅の色をした、薄い布地の服。腰の紐をすっと引っ張るだけで、全てはだけてしまいそうな。踊り子、直接的には娼婦の姿。髪は茶色がかったショートカット。セリカは全く見覚えが無かった。
「……」
「え?何?」
「…………」
「はっきり言いなさいよっ!」
「………………」
「あーもう!ラチがあかないっ!アンタ、森で盗賊をぶちのめしていた人でしょ!?」
「……」
 迫力に押されるようにして、セリカはこくんとうなずいた。
「盗賊に襲われてもうだめかと思ってたらとんでもない音がして…何かすごいものが見れそうだって予感がしたから馬車から飛び出したら、案の定メチャクチャな魔法使ってるとこで。何者なのか絶対聞いてやろうと思ってたのに、逃げちゃうんだもの」
「……」
「ねぇねぇ、アンタ魔術師でしょ?」
「…」
「何?言いたくないの?」
「……」
「なんか、恨みとかある?」
「………」
「先に名乗れっての?あたしは志保。あの馬車団にくっついて、どっか景気のいい街で稼いでやろうと思ってんのよ。あと、世界のいろんなすごい話を聞いてやろうと思っててね。そういうの、ワクワクすると思わない?」
「…」
「…なに?面白くないっての?」
「………」
「あーもう!何よ!変なやつ!」
 突然志保が怒りだした。
「……」
 セリカはとりあえず謝ったが、その言葉すら届いていない。
「はぁ、いいわ。さっさと宿行って客探そうっと」
 志保はすたすたと歩いて、近くにあった一つの宿に入っていってしまった。
「…なんなの?あれ…」
 こくん。
 とりあえずミュークにセリカは同意していた。
 恐らく、セリカが苦手な人間の1タイプだ。苦手という範疇でくくってしまえば、セリカの場合ほとんどの人間が入ってしまうという事もあったが。コミュニケーション全般を不得手としているセリカにとって、苦手という単語は便利な理由づけであった。
「あれなら、三回ぐらい盗賊に襲われても逃げられるんじゃない?」
「………」
 少しだけセリカが顔を伏せる。
「…えっと」
 冗談が機能していない。
 盗賊というモチーフに触れた瞬間示される動揺、ないし暴走。ほとんどアレルギー反応にも見える。
「…まぁ、いいや」
 ミュークは会話を打ち切って歩き始めようとした。
 しかし、セリカはそれに続かない。
「なに…もう、歩くのいやなの?」
 ……こく。
 だいぶ躊躇があってから、セリカはうなずいた。
 割合に子供っぽい情緒の優先。
 本来、セリカはそういった部分が少ない少女だったはずなのだが。ミュークという「聞き手」が生まれたためなのか、ここ二日間のセリカの行動にはどうも情緒の方が先行しているパターンが多いようだった。
 セリカは通りの両脇を見る。ちょうど二つの宿に挟まれていた。外観からでは、そう差があるようにも見えない。ただし片方は志保の入っていった店。
「どっち?」
 志保の宿とは逆の方。
「だよね…また会ったら疲れそうだし」
 歩き出したセリカを追って、ミュークも宿の入り口の方に向かう。
 昨日とは違って、セリカはミュークと別ルートを取ろうとしなかった。いつの間にか、ミュークが横にいるという状況が自然になってきてしまったのかもしれない。
 それはセリカだけに限った話ではないようで、
「いらっしゃい…」
 とセリカを迎えた受付の若い男は、ミュークに対して全く興味を示していないように見えた。ひょっとするとミュークが見えていなかったのかもしれないが。
 そして、あてがわれた部屋にミュークとセリカは向かう。途中で一人の旅人らしき出で立ちをした男とすれ違ったが、やはりミュークには興味を示さない。外では野良猫、中では飼い猫ぐらいに思われているのだろう。セリカの横にぴったりついて歩いているという事にまで注意を払う人間はいないようだ。
 きし…と、少し音を立てる廊下を歩く。廊下にランプのぼやけた光が並んでいる。
 セリカはやや奥まったところにある部屋のドアを開ける。
 やはりきぃ…と軋(きし)れた音が立った。どうにも上等な宿とは言い難いが、セリカはあまり気にしなかった。少し景気の悪い町の方に行けば、この程度の宿が普通なのだ。
「くらいね」
「……!」
 セリカは光源を生んだ。
 昼ならば窓の隙間から辛うじて入ってくる光もあるだろうが、逆に言えばその程度の光しかないのだ。雨でも降れば、泊まり客は光源のなる窓を探すのに相当苦労する事になるだろう。
 夜になれば、廊下のランプの光を使って部屋の中のランプを探してくれというわけである。
「大丈夫?このシーツ」
 清潔さに自信が無さそうな灰色。もちろん、元の色が灰色というだけなのだが。
「……………」
「ふぅん」
 とりあえず、虫よけになる魔法薬は割合安く手に入るものだった。しかも、その効果がなぜか半永久的に続く。小さい虫は全般に、魔法的な力に対して特殊な位置関係にいるのだという説もある。
 だから、客に対する配慮というものをごくわずかにでも持っている宿では、一晩寝た次の朝痒くて仕方がないと言う事はない。少なくとも、その薬のコストをケチる事のメリットより、客の評判が悪くなる事のデメリットの方が大きいのだ。それほどに安い薬だった。
 かたん。
 セリカがスタッフを壁にかける。
 だが、思い出したようにまた手にとった。今日は昨日と違って、宿についたのが遅かった。つまり、夕飯まで時間がない。受付の男にそう言われたのだ。
「ご飯?」
 こく。
「いってらっしゃい〜」
 ミュークはシーツの上に飛び乗り、そこで座ってセリカを見送った。
 相変わらず軋む音が絶えない廊下をゆっくり歩き、狭くて下りにくい階段を下っていく。セリカは踏み外さないように一歩一歩下りていった。いかに空中を浮遊する魔法を持っている人間と言っても、本能的に生まれてくる不安感というのはうち消せない。
 そして、ほとんどが男である客の流れと一緒に食堂へ向かった。
 宿泊料金に食事代が含まれている場合、二つのパターンがある。料理の腕にが良くて客に満足してもらえる自信がある場合と、単に高い物を食べさせたい場合。
 この宿の場合は…宿泊料金と食事代は別だった。良心的というか、自分のレベルに自覚的というか。
 わぁわぁという喧噪の隅に隠れるようにして、セリカはちょこちょこと肉のマリネをつつき始めていた。味は、あまりにも普通。
 もっとも、こういう宿の食堂は酒場としての色彩が強いのが普通だ。もちろん、ほとんどの宿についている食堂は酒場としての機能も備えているのだが。
 あかりの宿の食堂は酒場としての機能をほとんど持っていなかったが、それはあかり達の料理の腕が十分だったからだ。女二人で酒場を切り盛りするなどという危険を冒さなくても、しっかり客がついているのである。
 そんなわけで、食堂全体のテンションが時を追うごとに高くなっていった。一気飲みで済めばまだいい方で、歌を歌う男や小競り合いを始めるところまで出てくる。
 セリカは未だ食べきっていない料理の皿を見ながら、さっさと部屋に引き上げてしまおうかと思い始めていた。
 そのとき。
「ふ〜やれやれ」
 喧噪の中でも十分に聞こえるレベルの独り言。そんなものを独り言と言えるかどうかは別として、盛り上がりきっている酒場の客達は誰も気にしていないようだった。
 片手でぱたぱたと顔を扇(あお)ぎながら、セリカの近くのストールに腰掛ける。
 志保だった。
 どうやらセリカには気づかなかったようだ。
「おっちゃーん!エールひとつね」
 元々、よく通る声なのかもしれない。騒いでいる声の中に、ぴしっと彼女の声が響いた。かといって、それほど嫌味な声色でもない。
 志保はカウンターに肘をついて、やはり顔を手でぱたぱた扇いでいる。確かに、志保が向かったのは別の宿だったはず。すると、この宿に来ているというのは…
 たぶん、こっちの宿の泊まり客の中から志保の客を見つけて、一戦終えてきたということなのだろう。
 だが、そんな素振りなど微塵も見せず、志保は軽く傾けた顔の間から蠱惑的な視線を作り始めていた。
 どこに投げられているわけでもない、誘惑の視線。肘の間からのぞいている、乳房の谷間。透き通るような生地の中から伸びる、すらっとした生足。決して積極的なアプローチではなかったが、男を魅了するための戦略であるのは間違いない。
 まだまだ夜は長いということなのだろうか。あの、おしゃべりな志保とは違う志保だった。
 セリカは娼婦に興味など持った事がなかったので、そのように細かい観察をしたことも当然無かった。しかし、表情や仕草を作り変えたかのように別のものに出来る技術には素直に驚いた。それは、セリカが一番出来ない事なのだ。
 かち、かち…
 セリカは、やっと少なくなってきたマリネを口に運ぶ。夕食の時からいた客は、もう酒だけに切り替えているか、さっさと部屋に帰ってしまったかのどちらかのようだった。
 その中には、志保を買った客もいただろうか…
 どく。
「…!?」
 どく…どくん。
「………」
 重苦しい音をした脈動。セリカは視界が歪むのを感じた。その歪みはすぐに収まったが、今度は頭が歪む。頭の中が歪む…
 ふらりと倒れそうになったところで、その歪みも収まった。
 どくん。どくん。
 しかし、脈動は収まっていない。この脈動は…
 性の、脈動…
 どくん。どくん。
 がたっ。
 セリカはストールから立ち上がった。そのまま、酒場の中を掛ける。男達の間を縫って、酒場から駆け出していく。
 食事代が前金なのが幸いした。
 だっだっだっ…
 衝動は…セリカに、予測できない形でやってくるようだった。あかりを見た時と同じように。いや、あかりの時は恋心とセリカが認識したものがあったが、今回の場合は志保の事を少し考えていただけ…
 ぎいっ!
 セリカは自分の部屋の扉を開け放って、中に飛び込んだ。スタッフを床に投げ、すぐに扉をばたんと乱暴に閉める。
「……どうしたの。って、あ」
 ミュークがとぼけた声で言う。
 セリカはミュークを見ながら、吐息を苦しそうに荒げた。一刻も早く衝動を収めたいという事しか考えられなかったのだ。
「あのね、セリカ…それ、自分でしても『取れない』よ」
「………!」
 ミュークの宣言に、セリカが顔をこわばらせる。
「自分でするだけでいーのは、最初だけ。相手を捜してこないと」
「……」
「それはセリカが捜すんだよ。これから毎日なんだから、自分で捜せるようにならないとね」
「………」
「まぁ、がんばって」
 ミュークは床に下りると、ぴょんと飛び上がって、木窓を頭で押し開けて外に出ていってしまった。
 後には、熱い身体を抱えたセリカが残された。熱いだけではなく、身体がほしがっているのだ。性の悦びを。
 相手が必要…
 性の悦びを与えてくれる人間…
 その言葉が意味する語彙が、雷光のようにセリカの頭に閃く。
 がちゃっ!
 セリカは再びドアを乱暴に開き、古い木で作られた廊下を全力で駆けていった。


 ちょんちょん。
「ん?」
 志保が振り向く。
「あ?アンタ?」
 営業用の誘惑から、瞬時にしておしゃべり口調になっていた。
「なんか用あんの?あたしに」
 セリカは今にも爆発しそうな衝動を必死に押さえ込み、身体をもじもじとさせながら志保の手に自分の手を押しつけた。
「なに?…って」
 小さな固い感触。志保はセリカが何かを手渡したのだという事に気づく。志保はセリカから勢い良く手を引き離し、空中に浮かんだ「それ」をぱしっとつかんだ。
「これ…」
 志保は感心したような、呆れたような表情になる。
 赤くきらめく宝石だ。
 セリカは顔を真っ赤にしながら志保の顔を見ていた。
「なに…アンタ、そういうシュミだったの?」
「………」
 セリカは視線を少しだけそらす。でも、完全にそらして否定するわけにはいかなかった。
「まいったなー…あたし、そんな経験したことないんだけど」
 しかし、そう言いつつも志保はがたんとストールから立ち上がっていた。いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「でも、おもしろそっ。こんなにもらっちゃったし…サービスするわよ」
 そして、素早くセリカの頬にキスをする。
 セリカは、それだけで頭がおかしくなりそうだった。
「じゃ、行きましょ。部屋に連れてって」
 こく…
 ともすれば走り出しそうになる足をなんとか早歩きにとどめて、セリカは自分の部屋へと志保を連れていった。顔を伏せて、恥ずかしくてしょうがないといった仕草をする。本当は、何もしていないのに性感が生まれ始めていることを悟られないようにしていただけだった。
 どんどん呼吸はせわしなくなり、身体は熱くなり、乳房の先端が固く勃起し始めているのがわかる。部屋の前まで来た時には、秘部の中にまで熱いものが感じられるようになってしまっていた。
 がちゃ…
 セリカに続いて入ってきた志保が、部屋をきょろきょろと見回す。
「あっかるい…でも、さっきの奴とおんなじ部屋ね。あ、あたし、やった後にはちゃんと身体洗ってきてるから。お客さんへの礼儀ね」
「…」
「いいのよ、アンタはお客さんなんだから」
 セリカの声が聞こえていたのかはわからないが、志保はそう言った。
 ばたんと部屋の扉を閉めると、早速腰の紐を引っ張る。するっと紐がほどけた瞬間、志保の着ていた服は床に滑り落ちてしまった。あとには、申し訳程度に秘部を覆っている赤い布地しか残っていない。
「んじゃ、はじめましょ」
「……!?」
 ベッドの近くでまごまごしていたセリカ–––マントだけはもう外していた–––を、飛びつくようにしてベッドの上に押し倒す。そのまま、志保はセリカに熱くキスをした。
 濡れた唇が押しつけられたかと思うと、次の瞬間には舌が口腔にぐいっと侵入していく。セリカにとっては、生まれて始めてのディープなキスだ。
 戸惑いばかりを覚えるセリカに、志保は一方的な口唇の愛撫を加えていく。セリカの舌を突き崩すような攻撃的なキスだ。こねくり回される度に、セリカの背中を甘い悪寒が突き抜けていく。
 胸や秘部への刺激とはまた違う、どこか切ない感覚だった。背中から熱いもので煽られているようなやや間接的な快楽。と言っても、胸や秘部への性感とつながらないわけがない。
「…………!」
 セリカが声無き声を上げる。キスだけで愛液を漏らし始めてしまったのだ。キュロットが熱い液体で濡れ始めるのがわかる。いやいやをするように顔を振るセリカに、志保は逃がさないといった体(てい)で追い込むようなキスをした。
 口腔の奥の方、上あごの部分が舌先でちろちろとくすぐられる。苦しそうな吐息を出しても、許してもらえない。志保の腕がセリカの背中に回されて、ぎゅっと抱きしめてくる。虜にされたかのような感覚だった。
「はぁっ…」
 本当に息が苦しくなってきたところで、セリカはやっと解放してもらえる。
 両腕をだらんと垂らしたまま、セリカはベッドに横たわっていた。呼吸は非常に荒くなっている。思考も薄くなってきていた。
「あら?これ…」
 志保がセリカの身体の反応に気づく。
「なに〜、これ。感じすぎじゃない?」
 志保の指が、キュロットの上からセリカのヴァギナの辺りに当てられて、そーっと割れ目を撫で上げていった。
「…!」
 セリカは腰をベッドに押しつけるようにして、その刺激に耐えた。じわっ、じわっとさらなる愛液がキュロットを濡らしてしまう。
「すごい…でも、脱がしてあげないから」
 志保は変に優しい笑みを浮かべた。
 セリカは着衣を濡らしてしまう、背徳的な感覚に悶える。そのセリカのシャツをつかんだ志保は、舐めるような緩慢さでゆっくりとシャツをめくっていった。脇腹のあたりをくすぐったり、本当にへその辺りを舐めたり、性感帯から遠く外れた、でも敏感な部分への愛撫を行う。
 その度に、じゅっ、じゅっとセリカのヴァギナは愛液を噴き出した。じっとりと濡れてしまったキュロットは、もはや生地の中に水分をこれ以上たくわえられない程になっている。
「まだよ…」
 乳房の半分くらいのところまで脱がしたところで、志保は乳房の下側に舌を当てて、ぺろぺろと動物のような舐め立てを行う。
 ぎりぎりのところまで来てお預けを食らっている乳頭が、ぴんぴんに勃起していた。乳房の下半分だけを舐め取ってしまうかのような愛撫だった。セリカは半開きにした口から唾液すら垂らして、不十分な性感に苦しむ。
 思い切り焦らしを加えたあと、志保はぷるんと乳房全体を露わにした。
「きれいね」
 志保は紅く尖った乳頭にむしゃぶりつく。
「ん…んんー!」
 セリカがあられもない嬌声を発した。はっきり聞き取れるレベルだ。
「アンタ、しゃべる時より、感じた時の声の方が大きいのね」
「…」
 やや冷たい口調。しかし、その言葉の直後には激しく乳頭に吸い付き、舐め転がす。
「ひ…うっ」
「ほら、やっぱり」
 言葉の責めも意識されているようだった。セリカはそんな事に気づかず、恥辱に顔を染めながら声を押さえようとする。しかし、どうしても喘ぎ声が止まらない。
 そのままたっぷりと乳首を堪能して、志保は責めの手を休めた。
「男と同じようにやったんだけど…すごいわね。女の子だと、こんなに感じちゃうんだ」
 ひくひくと、身体全体を小さく痙攣させているセリカ。志保は、またヴァギナに指を当てて、秘裂をなぞる。今度は、指で押すだけでキュロットで吸いきれない愛液がじゅわっと染みだしてきた。
「びっちょびちょね」
 ふるふるとセリカが首を振った。
 志保はキュロットの裾に手をかけると、今度は一気にずり下ろす。キュロットで押さえつけられていたために、不自然に広がった愛液に濡れたセリカの秘裂が晒される。
「あれ?…アンタ、剃ってる?」
 セリカはよくわからなかった。
「ま、いいや…丸見えだしね」
 志保はぴろっとセリカの秘裂を広げた。
「きれい…あんまり使ってないでしょ」
 無遠慮な評とともに、指先で確かめるような刺激が加えられる。
「…ふぅっ…」
 潤滑の液はあまりに豊富だった。ぬるぬると指先で粘膜を撫でられるだけで、峻烈な快感が走っていく。
 志保は、おもむろにセリカのクリトリスの包皮を剥いた。それだけでセリカは昇天しそうになる。もう一撫でされたら、間違いなく絶頂を迎えてしまうだろう。
「一度、イッちゃいなさいね」
 志保は二本の指を揃えた。そして、ずぶっとセリカのヴァギナに挿入する。
「んあ…ああ」
 抵抗感も痛みも恐怖感もなかった。
 志保はそのまま入り口の近くで指を抜き差しした。乱暴な動きだっため、時折指の端がクリトリスをかすめる。
 セリカは、5,6度抽送されたところで限界だった。
「ああっ!」
 はっきりとした大きな嬌声。
 ビクビク…とセリカの身体が震えた。
「まだまだ、第一ラウンドよ。この志保ちゃんのテクニック、たっぷり披露しちゃうからね〜」
 志保はセリカの中に指を入れたまま、嬉しそうに言った。



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