サッキュバス・セリカ 〜淫魔の呪い〜 その6


(この文章は、ファンタジーノベルスの文法に慣れている方にお薦めします(^^;)

「ごくろうさま〜」
「……」
 セリカが心配そうにベッドで寝ている琴音を見守っている所に、ミュークが入ってきた。
 ミュークはテーブルの上に飛び乗って丸くなる。二人と一匹は、琴音を最初に部屋に連れてきた時と同じ場所に陣取っていた。
「寝ちゃってるね…」
 こくん。
 セリカはうなずく。
 琴音は服も元通りになっていたし、シーツも多少シミが残っているとは言え整え直されていた。先ほどの陵辱の痕跡はもう残っていない。
 多少顔色はよくないが、呼吸は規則正しいし、少なくとも道端で倒れそうになっていた時よりはよっぽど体調を戻しているだろう。
 とは言え性交しただけで気絶してしまった琴音に、セリカは心配を募らせていた。疑似男根が身体を離れた瞬間、陵辱の欲望は憑き物のように落ちて、普段通りのセリカが戻ってきたのだ。
 万全の体調ではないとは言え、エクスタシーを迎えるだけで人は気絶できるものか。セリカは判断に迷っていた。ショールゥに初めて犯された時すらも、セリカは意識を失うことはなかった。
「大丈夫なんじゃないの。身体、弱いみたいだし」
「……」
「だって、ずっとあんな感じであちこちをふらふらしていたんでしょ?ご飯もあんまり食べずにさ」
 つまり、セリカと同じ判断ということでもある。
「それに、本気でセリカにやられちゃったんだし」
「…………」
 続けて発せられたミュークの言葉に、セリカは顔を曇らせた。
「段々セリカも一人前になってきたってことでしょ。立派立派」
 セリカは嫌そうな顔をしたが、それ以上会話を続ける事はなかった。再び琴音の方に向き直り、髪を撫で上げる。
 あれだけ激しい行為を経たにも拘わらず、髪の毛はあまり乱れていなかった。セリカが手で軽く梳いただけで元に戻ってしまったのだ。つややかで濡れたように見えるセリカの髪よりも、もっとふわりとした感触の琴音の髪は綺麗だった。
「少しずつ、女の子の可愛いとこにドキっとするようになってきたでしょ?」
「……」
 セリカはミュークの方を向かずに答えた。知らない、と。
 別にムキになって否定しているわけでもないし、本当にそういう感情から無縁なわけでもないだろう。ただ、自分の綺麗と思うものを綺麗と思っても悪いことはない。そう考えただけだ。
 これまで、セリカがあまりしてこなかった考え方である。
「ふーん」
 ミュークはいつも通りの調子で言った。
 その時、琴音がぴくりと動く。
「……」
「…あ…」
 ぱちりと目を開いた。気絶して倒れた状態から意識を取り戻したというより、何かに気づいて目を開けたくらいの様子に見える。
 琴音はそのまますっとセリカに視線を向けた。動作を見ても表情を見ても、異常はないようである。さっき起きていた時と何も変わっていないようだ。
 顔色だけはやや悪かったが、最初に琴音が目を覚ました時も、ひょっとすると似たような顔色だったのかもしれない。セリカが心配していたせいで、顔色が悪く見えていた可能性は十分にある。
 安心が、セリカの自然な微笑につながった。
「…あ…」
 琴音はまたそう言った。今度は、その言葉と同時に顔を少ししかめる。もちろん、顔はセリカに向けたままだ。
「…」
 犯罪者を見ているみたいな目だ、とセリカは思った。それによってセリカは少なからず傷ついた。だが、
「はぁっ…」
 次の瞬間琴音がため息をつきながら目の焦点をセリカからずらした事に、多少の安堵を覚える。
 好意を持ってもらえたようには見えなかったが、琴音の無事を安心した瞬間に変態や犯罪者呼ばわりされて侮蔑されたならセリカは大いにショックを受けただろう。もっとも、セリカの行った行為は一般の人間にとって変態的、犯罪者的なものであるのは疑いの余地のないところであるが…
 少なくとも、琴音がヒステリックに叫びだしたりしなかったのはセリカにとって幸いなことだった。
 ぱちっ。ぱちぱちっ。
 琴音が幾度かまばたきした。顔はセリカの方に向けられているが、焦点は相変わらずぼやけたままである。
 セリカはどう言葉を掛ければいいものか迷っていた。何と言っても、気絶させた原因の大半は自分にあるのだから。下手に身体の調子を聞くのも、バカにしているように響きかねない。
 ぱち…
 琴音が今度はゆっくりとまばたきして、ころんと身体をセリカの方に転がした。
「セリカさん…」
 敵対的な声色ではない。怯えてもいない。
 今の琴音は…喩えるなら、甘えている子供のような表情と体勢だと言えるかもしれない。なぜそうするのかセリカにはよく分からなかったが、悪い気はしなかった。
 セリカは元々積極的に世話を焼くようなタイプではない――そんな相手がいなかったのだから――が、この位置関係で見上げられていれば、どこか頼られているという印象を持ってしまう。
「…………?」
「別に…身体におかしなところはないです…」
 そう言って、琴音はセリカの腿の辺りに手を乗せた。
「なんだか…いろいろ、びっくりしちゃいましたけど…」
 …こくん。
 思い当たる節が多すぎて、セリカはうなずく事しかできなかった。
「でも、私…」
 琴音がセリカの腿の上で手をわずかに滑らせた。どちらかと言えば膝に近い辺りだが、動かした方向はセリカの腰の方である。性感にはほど遠い感触とは言え、セリカは多少の緊張を覚えずにはいられない。
「あの、お願いがあるんです」
「…?」
 琴音の意外な一言に、セリカは聞き返していた。
「ええ、お願いです…セリカさんじゃないと…できないことです…」
 いつの間にか、琴音の目が甘えの色に加えて、真剣さを帯びつつあった。
「……?」
「えっと…私…」
 琴音はきゅっ、と一度口をつぐんでから、思い切ったように喋り出す。
「連れていってください」
「?」
「セリカさんの行くところに…連れていってください」
「……………」
「そうじゃないんです。セリカさんがどこに行くのでもいいんです。ただ、セリカさんの行くところに私を連れていってください」
 琴音の言葉は真剣そのものになっていた。体勢や表情には甘えるような…見方によっては媚びるような雰囲気が残っていたが、しゃべり方にはそういった要素はもう全く残っていない。
「……」
「私の力で、誰かを傷つけるのは…もういやなんです…」
 言葉が、さらに力を増していた。同時に、ひどい悲しさを帯びたものになっていた。
 …ふるふる。
「お願いです…」
 セリカのシンプルな否定の仕草に、琴音は納得することはなかった。身体をよりセリカに近づけて、脚に触っている手にもより力がこもる。
「あの力のことだよね…」
 ミュークが言った。その場にはいなくても、気づいていたのだろう。琴音が暴走させた、あの電撃のことを。セリカはミュークの持っている力をまだ十分には把握していなかったが、少なくとも魔素の探索ぐらいはできるだろう事は想像できる。
「どうするの?」
 セリカは迷いを覚えていた。
 確かに琴音の能力を放置しておけば、傷つく人間も増えるだろう。いや、琴音の能力の大きさを考えれば、傷つくで済むとはとても思えない。全く関係ない人間を…あるいは逆に、大切な人間を意志とは無関係に殺してしまう事もあり得るだろう。
 そういった経験を琴音が経てきた事は、想像に難くなかった。
「お願いです…セリカさん…私は、セリカさんしか頼れる人がいないんです…」
 声が少し震えていた。本当に自分の持つ力に怯えているのがよく分かる。
「だって」
 ミュークが言った。
 しかし、琴音を連れていくとなればどうだろうか。
 このあとセリカは国境を越えるつもりだから、琴音も一緒に危険にさらす事になる。それは何とか出来たとしても、セリカは仕事柄危険な目に遭うことがしばしばだ。自分ひとりならいくらでも守りようがあるが、連れがいるとなればそうもいかない。琴音が魔力容量に相応の防御の魔法を使えるならともかく、そういうわけではないのだ。
 ふるふる。
 セリカは再び首を横に振った。セリカに琴音を守りきる自信はない。
「お願いですっ…助けてください…」
「ボクとしてはこのコと一緒に行くのやだね…」
 ミュークはそう言う。いいように琴音に遊ばれていた事を不快に思っているのは間違いないだろう。
 セリカはそんなミュークの意見まで気にする事はなかったが、これまで続けてきていた気ままな一人旅を続けたいという気持ちはあった。その意味ではミュークと同レベルかもしれない。
「…………」
 軽く頭を下げながら、セリカはやはり琴音の申し出を拒絶した。
「た、ただでなんて言いません…あの、セリカさんはああいう事がすごい好きなんですよね…?」
 琴音はますますセリカに身体を寄せる。
 「ああいう事が、すごく好き」…言葉の持つ響きにセリカは嫌なものを覚えたが、自分の今の状態を考えれば真っ向から否定する事はできなかった。肯定する事はなかったが、否定もしない。
「だったら、私の身体をどうしてもらっても構いません…いつでも、どこでも…セリカさんが好きなようにしてもらって構いませんから」
 琴音は、わずかに自分の服をはだけながらそう言った。本気らしい。
 ある意味では、非常に魅力的な申し出と言えるのかもしれなかった。これまでの3日間セリカは何らかの形で性交渉の相手を見つける事ができたわけだが、これからもずっとそうしていけるとは限らない。相手が自分を完全に受け入れてくれている状態で、しかもこちらからも提供できるものがあるとなれば、理想的な状況である。
「ダメだよ。毎日おんなじ相手じゃ、全然鎮まらないよ」
 …かさっ。
「あ…」
 セリカは琴音の服に手を伸ばし、それをきちんと合わせた状態に戻した。琴音は万策尽きたという絶望的な顔で、セリカの事をじっと見つめる。
 多少気後れするものを感じたが、ミュークの指摘によって琴音の申し出を受け入れる事は事実上不可能になっていた。琴音を連れて、しかも毎日毎日違う相手を捜し回るという事など現実にはできない。もし見つけられたとしても、琴音に対して恥ずかしくて仕方ないだろう。
「………………」
 色々な事情があるから、という曖昧な表現でセリカは諭した。
「セリカさん…」
 それでも、琴音は目に静かな決意を湛えて言う。
「今晩だけ、セリカさんのそばにいさせてください。それで、セリカさんの気が変わったら、セリカさんと一緒に行かせてください。お願いです」
「……」
 まだ諦めていない琴音にセリカは困惑したが、病み上がりの琴音をセリカの方から出ていかせるわけにもいかない。認める事しかできなかった。
「本当に…セリカさんしかいないんです…」
 ころころ、と転がって、ベッド中央の元の姿勢に戻りながら琴音は言った。嘘ではないだろう。
「頑固だね」
 …こく。
 セリカは琴音に見えないように、ミュークに向かって小さくうなずいた。
 正直、琴音がその能力によって具体的にどういう経験をしてきたのか、セリカには想像できなかった。苦しかっただろう事は分かるが、具体的にどうなのかがよくわからない。
 セリカが琴音に視線を戻すと、琴音はもう目を閉じていた。
「やっぱり疲れたのかな」
「……」
 それは、セリカも同じだった。ベッドに上がって、琴音の横に身を横たえる。
 同性の横に寝るという感覚は不思議なものだったが、どこか安心感に似たようなものも感じられる気がした。
「セリカさん…」
 セリカが目を閉じると、同時に琴音がそう言う。
 そのまま次の言葉を待ったが、続けられることはなかった。そうして二人はゆっくりと眠りに落ちていった。


 起きたときに、琴音がセリカにぴったり身体をつけていたのが少々気まずかった。セリカが身体を離すと見計らったかのように琴音も目を覚まし、寝ぼけ眼のままにセリカは琴音と見つめ合う事になった。
 どこか吸い込まれるような酩酊感を覚えたせいか、その見つめ合いを数十秒もの間セリカはしてしまっていた。ミュークが「なにしてるの?」とメッセージを送ってきたから気づいたものの、そうでなければ延々と二人で見つめ合っている事になったかもしれない。
 そして、食堂でやや早めの夕食を取り、二人で同じ物を食べてから部屋に戻った。
 食事をしている間も、部屋に戻ってからも琴音は最初に会った時と別人のように明るく話していた。最初に気を取り戻してミュークと遊んでいた時の、嬉しそうながらどこか憂鬱さも漂わせた様子とも違う。よくしゃべり、笑い、表情もころころと変わっていた。まるでセリカとは気の知れた友人であるかのように振る舞い、会話を途絶えさせる事もなかった。
「なんか、雰囲気がよく変わる子だよね〜」
 琴音の膝の上で撫でられながら、ミュークはぼやいたものである。
 セリカの方は最初こそ戸惑っていたが、ずっとそうされている内に琴音のノリに引きずり込まれてしまっていた。と言ってもセリカの方から話す事はなく、琴音の話に相槌を打っているだけで表情の変化もあまりなかったが、会話する事すら普段は少なくしようとしているセリカにとっては珍しいほど他人と長く話していた事になる。
 ただ、琴音がセリカにしきりに触れてくるのは困惑の表情を浮かべていた。手をつないだり、セリカの脚の上に手をそっと乗せたり、横に座ってぴったり身体を触れさせたり、冗談のようにしなだれかかってきたり。最初の内はセリカも琴音のノリの一環だと思っていたが、あまりに頻繁になると意図を感じずにはいられなくなる。
「イ…イジメだよぉ…」
 同じノリでミュークを後ろ足で立たせて握手したり、ぎゅぅと抱きしめたり、肉球に触って遊んだり。とばっちりを食らった格好になったミュークは、琴音とセリカが寝ようとする頃にはぐったりとなっていた。
「ボ、ボクは、この子連れてくの、ぜぇ〜〜ったいに反対だから、ね…」
 どこかよろよろした足取りで、ミュークはテーブルの上に戻った。
「じゃあミュークくん、明日もまた遊びましょうねっ」
「ご、拷問…」
「……」
 セリカはさすがに気の毒そうな視線をミュークに送った。だが、とりあえずは横にいる琴音の方が気になる。
「私たちも、寝ましょうか…」
 こく…
 セリカは小さくうなずく。そして二人は、ほとんど同時に枕に頭をつけた。
 布団を肩までたぐり寄せて、天井を見つめる。ずっとしゃべっていてセリカはだいぶ疲れていたが、このまま素直に眠ることは出来なさそうだという予感はあった。それでも目を閉じる。
 ごそ…
 案の定、すぐに琴音が身体を動かし、セリカの身体にぴたりと密着してきた。
 しゃべっている間に何度もされていた事とは言え、ベッドに寝ている時にされれば意味合いも違ってくる。セリカは顔を琴音とは逆に向けようとしたが、さすがにそれは露骨すぎる気がして出来なかった。
「セリカさん…」
 内緒話のような小さい声で、琴音が言う。耳元でささやかれたために、琴音の息が耳たぶに感じられた。
 わざわざそんな事を意識することもないのだろうが、緊張していたセリカは背筋にぞくりとしたものを覚えてしまう。セリカは自らもごそごそと手や脚の位置を変える事で、その思考を振り払おうとした。
 だが、琴音はそれに乗じてさらに身体を近づけてくる。しかも、セリカの腰の横あたりにぐいぐいと身体を押しつけているのが分かった。琴音の身体で言えばどこに当たるのかは…
「あ…」
 突然琴音が吐息を漏らした。そして、一瞬琴音が動きを止める。
 その短い沈黙の間に、セリカの意識の中には琴音の吐息がどんどん浸透していった。
 再び身体の押しつけが始まると、さすがにセリカも落ち着きを失ってきた。琴音がどう思うかなどという事を気にする余裕もなく、身体を動かして琴音に背を向ける。
 くすん…
 琴音がわずかに鼻腔から息を吸い込んだのが、切ない嘆きの声に聞こえて仕方がない。セリカは身を固くして、必死に目を閉じていた。
「セリカさん…ちょっと聞いていいですか?」
 すると、琴音は内緒話のようなトーンのままで、そう言ってくる。
 背を向けたままのセリカは、何も反応をしなかった。ただ、寝息のような呼吸をしながら無反応でいるだけである。
「あの…どんな時にしたくなっちゃうんですか?」
 ………!
 さっき二人で延々とおしゃべりをしていた時には全く触れられる事がなかった、性絡みの話題である。自分が色情狂のように見られていると思ってセリカは憤慨したが、言い訳のしようがない。セリカに出来るのは寝た振りをする事だけだった。
「まだ起きてますよね」
 しかし琴音はそう言う。確かに、布団に入ってからまだ全然経っていないのに寝ていると言っても説得力は全然ない。
「いちにち、いっかいで、本当にがまんできるんですか…?」
 いきなり核心に触れてくる。婉曲も何もない。あるいは、さっきのおしゃべりが長い前振りだったのかもしれない。
 ごそごそ…と、琴音がまた身体をくっつけてくる。
 正直なところを言えば、今のセリカにはそういう事をしたいという欲望は全くなかった。ショールゥの洞窟から帰ってきた初めの日に比べれば、行為自体には慣れを覚えてきてしまっているし、「発作」が起きた時の欲望は日に日に強くなってきているかもしれない。だが、「発作」が起きていない時にまで性行為をしたいと思うかというと、そうではなかった。
 もちろん、する事はできる。これだけ短い間に何回も性行為に及んでいれば、どうするのかという事を記憶していない方がおかしい。それほど生理的な嫌悪感を感じずにする事もできるだろう。しかしだからといって、わざわざしようと思うわけではない。
「………」
 セリカはシンプルに肯定した。つまり、我慢できると言った。
「無理するの…身体に良くないですよ…」
 琴音はそう言う。恐らく、琴音はセリカが性行為の中毒のようなものだと確信しているのだろう。それはある意味では正しいかもしれないが、本当に一日一回しか起こらないと言う意味で、特殊すぎる。しかもセリカ自身に端を発する欲望というわけではない、植え付けられた欲望なのだ。
 それを誤解して、自分を誘惑しようとしている琴音の姿は滑稽であると同時に、少々苛立たしかった。
 ごそ…
 セリカは琴音から少し身体を離す。
「私は、全然構いませんし…それに、ちょっぴり興味も出て来ちゃいましたし…」
 すれ違ったままの琴音の言葉に、セリカはさすがに疲れを感じてきた。
「二人ともしたくて、それで気持ちよくなれるんだったら、いいじゃないですか…?」
 セリカは何も言わない。何を言っても無駄だと思ったのだ。無視を決め込む事にする。
「セリカさぁん…」
 琴音がまた身体を寄せてきて、耳の近くで媚びるようにささやく。だがそれはもはやセリカにとって鬱陶しいノイズに他ならなかった。疲れが溜まるにつれて、感情も短絡的に、攻撃的になっていく。
「今もえっちな事考えてるの…わかってるんですよっ…?」
 セリカは、ひどく陰鬱で息苦しい感情を覚えた。何か、胸の奥に震えるような嫌な感覚がある。
「…………」
 ピクン、と琴音が身を硬直させた。
 そのまま沈黙が訪れる。
「…………ぁ………」
 かなりしてから、琴音が怯えたような微かな声を出した。それきり、琴音は何も言わなくなる。身体を動かす気配すらなくなる。セリカの言った一言だけで、そうなってしまったのだ。
 セリカはカタルシスと締め付けられるような苦しい感情を同時に味わっていた。たった一言の、普段の自分とかけ離れた言葉を口にするだけで生む結果に、驚くと同時に苦しんでいた。
 言葉を発するだけで人をコントロールできるなら、これほど楽な事はない。ましてやセリカは人とコミュニケートするのが苦手なのだから。ごく少ない言葉だけで人を操れるなら、それは極めて便利なことだ。
 それはどこか、セリカの使う魔術に似ていた。圧倒的に対象を破壊して、その後の結果を気にする必要などない。
 苦しかった。
 どんなに戦いで傷ついた時にも、どんな呪いを掛けられた時にも感じた事がなかった苦しさがそこにはあった。自分は何も悪くないはずなのに、そうなる。非常に不条理なような気がして、しかし自分の無知がもたらした結果であるような気もする。
 セリカは、なかなか寝付くことが出来なかった。


 …ぱさ…
 布団をめくる音がする。セリカの意識が唐突にはっきりとした。だが目は閉じたままである。
 …とん。
 そして床に降り立つ音。琴音がベッドから降りたに違いない。寝起きの動かない頭でも、それは理解できた。ただ眠りが浅かったようで、直前まで見ていたはずの夢と今起こっている事態の区別がうまくつかない。
 夢はラストシーンしか覚えていなかった。ショールゥの洞窟を歩いている途中で出てきた敵が使った魔法でセリカが思い切り吹き飛ばされて、地面に転がった所である。実際にはショールゥの洞窟にはショールゥ以外の敵などいなかったし、直接魔法を受けて飛ばされて無事であるはずがない。しかも痛みや不安感が全然なかった。その辺りは夢らしい。
 とん、とん…
 琴音の足音は、ベッドから入り口のドアの方に近づいていく。
 途中で、足音が止まった。ちょうど部屋の真ん中辺りだろうか。
「う〜、最後くらい放っておいてよ〜」
 …とん、とん。きぃ…
 そしてドアを開ける音がする。
 …ぱたん。
 閉まる。
 琴音は、出ていった。
 はっきりしない意識の中に、安心感と不安感が複雑に錯綜していた…
「はぁっ…行っちゃったね」
 目を閉じたままのセリカに、ミュークが言う。
 何も考えないように努力すると、寝起きの頭はすぐに動かなくなった。意識が混濁して、また眠りに落ちていく。何も考えることがなければ、ミュークに思考を読まれる事もない。
 不思議なほどにセリカは疲れていた。


「おはよう」
「…」
 セリカは目をぱちぱちと何度かしばたたかせた。どこか頭が重い気がする。眠りが浅かったせいか、眠りすぎたのか。どちらなのかはよく分からなかったが、もう日がそれなりに昇っているという事は想像できた。
「そうだねぇ」
 ととっ、とミュークがテーブルから飛び降りて窓の方に向かう。窓枠に飛び乗って頭で窓を開けると、外からは眩しいほどの日光が差し込んできた。セリカは思わず目を細める。
「出るんでしょ?今日はちょっと早めの方が良かったんじゃないの?」
「…」
 こくん、と頭の重さに引っ張られるようなうなずきをセリカは返した。そして、口に手を当ててあくびをする。
「眠そうだねぇ」
 とん、とミュークが窓枠から飛び降りて言う。セリカはまたうなずいた。
 髪の毛を手で梳いてみると、いつもよりも乱れているような気がする。やつれ気味の顔をしているであろう事は間違いない。
 それでもセリカは何とか身体を起こし、もう一度身体を伸ばしながらあくびをした。
「なんか、セリカってそんなに寝起きが悪かったっけ」
「……」
 首をゆっくりと横に振る。そして、上半身だけを起こした状態で身体の前に両手を垂らした。
 ふーっ…
 ため息をつく。
「ついでに、動きがいつもより多いような気がするけど」
 ………
 言われてから、セリカは自分が今していた動きを反芻する。確かに、言われて見ればそうかもしれなかった。セリカは言葉少なであるのと同じくらい、無駄な挙動をする事が少ない。
「……………」
「ん〜、確かにあの子はよく動く子だったけどね、セリカが連れてかないって言った後には」
「……」
 影響されやすいのだろうか?
 まるきり行動パターンの違う人間と長い間会話をしたり、一緒に眠ったりした事がこれまでなかったセリカにはよく分からなかった。
「別にボクは何とも思わないけどね、あの子の件に関しては」
 セリカはミュークをじっと見やる。
「だから、何も気にしなくていいよ。セリカの好きなようにしたんだから」
「……」
 何か言いたいような気がするのだが、形にはならなかった。
 バサッ!
 突然、セリカは布団を跳ね上げる。これ以上考えても何も生まれない気がしたのだ。元々出るのが遅れている時に、そんな事をしていても仕方がない。ご飯を食べて、日の光の下に出れば全部忘れる…
 ミュークを見ると、さっきと全く同じ体勢でセリカの事を見ていた。
 一瞬の間セリカとミュークの目が合う。しかしミュークは目をそらした。
「んじゃ、いこっか。ご飯早く食べておいでよ」
 とことこ、とドアの方に歩いていく。
 心の中に再びわだかまりが生まれるのが感じられたが、セリカはそれを強引に抑え込んでベッドの上に立ち上がった。
 ブーツを履いている間に、ミュークはドアの外に出ていってしまう。セリカは何となくミュークを駆けて追いたい気分になったが、しなかった。なぜか、眼の奥がじぃんと痺れるような気がした。


「快適だね〜っ」
 ミュークが言う。
 セリカ達は、街道から離れて山肌を浮遊魔法で昇っていた。途中までは街道沿いに来たが、国境の関所が見えてきそうな所で道を離れ、山の方に進路を変えたのだ。最初の内は人が上れそうな所だったが、進むにつれてごつごつとした岩肌ばかりの山になり、今は山と山の間を飛んでいるところである。
 はるか眼下に、河が見えた。国境である。セリカ達は今まさに国境を越えようとしている所だった。だがこんな所を守る兵士などいるはずもなく、誰にも見とがめられずにやすやすと国境破りは成功していた。
 歩きで来たならば危険な岩場を幾度も越えなくてはならないし、その後でイェク国側に渡った後も同じような岩場を越える必要がある。浮遊魔法を使える人間ならもう少しマシだろうが、山から河までの高低差がかなりある事を考えると、セリカ達のようにスムーズに越える事はできないだろう。
 だがセリカは地面から非常に高い位置を飛空できる浮遊魔法と、隠蔽魔法(ハイド・マジック)をいとも簡単に、しかも長い時間コントロールできる。山をそのまま昇って、適当な高さの所を直線的に飛んで渡る、それだけのことだった。
「でも、だったら国境を越える人間って結構多いんじゃない?」
 理由がない限り、そんな事をする人間はいない。
 この二つの国の間で密輸をして大儲けが出来るほどのものなどない。罪人も、権力が分散している国家の状況下では国外に渡るより国内で逃げ回った方が楽だ。
 渡るとすればスパイくらいである。だから、国境破りがバレれば大変な事になる。そんな危険を冒すメリットなど、普通はほとんどないのだ。セリカのような場合を除いて。
「ふーん」
 そうこうするうちに、もうイェク国側の山肌に近づいてきていた。セリカ達はそこに吸い付くように滑空し、岩山を少しずつ下りながら国境線とは逆の方にどんどん進んでいく。
 ずっと右手の方にはイェク国の関所があるはずである。兵士達に見られないように最初の内はほぼ国境線と垂直に飛んでいたが、しばらく経つとセリカは軌道を少しずつ右にずらしていった。それに伴って、山肌を下りていく角度も急になり、どんどん高度が下がっていく。
 やがてごつごつとした岩ばかりではなく、そこに張り付くように生えた植物なども多くなってきた。そして岩ではなく土の地面になり、背丈の低い木なども見かけられるようになってくる。やがて木々が増え始め、最後には森のようにうっそうと茂った所の上空をセリカ達は飛んでいた。
 今の下りは、ファエル国側の山を昇っていった時とちょうど逆の変化である。距離的に離れているわけでもないのだから、それは当然だろう。
「あ、道だね」
 こく…
 セリカの目にも、森が切れた所にある街道は見えてきていた。ファエル国にあったものと、ほとんど変わりはない。
 あまり派手に街道へと飛び出していくと、旅人に、最悪兵士に目撃される危険性がある。ファエル国側の場合は、国境線に沿うようにして別の街への別れ道が伸びていたから言い訳のしようもあるかもしれないが、セリカはこの辺りの街道がどういう風になっているのか全く分からない。それに、もし岩山の方から出てきた事までバレてしまっては誤魔化しようがなかった。
 セリカは森の木々すれすれまで高度を落として、その上を水平に、街道と平行になるようにして飛んでいく。少なくとも、街道に沿っていけば街があるのは確実だ。
「でも、何もわかんないような所で仕事なんて見つかるの?」
「………」
 確証までは無かったが、野良デーモンなどどこにでも転がっているはずである。手持ちにも余裕はかなりあった。元々は目的もない放浪の旅なのだから、贅沢をする必要もない。その日その日の宿とご飯があれば、とりあえずは問題ないのだ。
「このままいけばね」
「…?」
「別に、なんでもないよっ」
 ミュークはとぼけた顔で言う。セリカは段々ミュークの顔の変化が読めるようになってきた。普通の猫に比べるとミュークが「オーバーアクション」であるのは間違いないが、それ以上に行動パターンが読めてきたというのが大きい。
「ま、早く街に入った方がいいと思うよ」
 そうすると、どこかでまた「発作」が起こる…
 分かっている事とはいえ、ひどく憂鬱ではあった。琴音のような行くあてもない少女が毎日毎日見つかるはずもない。
「頑張ろね」
 頑張る、と言っているにも拘わらず他人事の声だった。セリカはじーっとミュークの事をにらむ。
「…!?」
 だが、次の瞬間セリカは後ろの方を振り向いていた。
「え?」
「……」
 浮遊魔法が減速し、ストップする。
 セリカは食い入るように、今来た方を見ていた。街道が向かっている方。つまり、関所のある辺りだ。
「あ…」
 ミュークも何かに気づいたようだ。
 ゴ…グゴォォ…
 そして、遠雷のような音が聞こえてくる。だが空は晴れ渡っているし、どこかきしんでいるようなその音は雷とは微妙に違っていた。近くで聞けば、さぞ耳障りに響くことだろう。
「なんだろ…ね…」
 ミュークはセリカをそっと見上げる。セリカは真剣な表情を崩していなかった。緊張しているのが目に見えて分かる。
「誰かが…魔法使ったのかな…」
 魔素探知は、ミュークも出来るようだった。ただ初期に到達する散乱魔素を捉えられるセリカに比べれば、やや力が劣っているのは否めない。それでもミュークが音の届く前に容易に魔素に気づいたという事は、発生した魔素の量が相当大きなものだったという事になる。
 セリカは目を伏せて、何回か首を横に振った。
「じゃあなんなの?」
「…………」
 確実な事は言えなかった。セリカはかなりの距離の所で使われた魔法でも、少し時間を掛ければ特定する事が出来る。これほど大量に魔素が放出されているのならば、ほぼ一瞬で何が使われたのか確定できるはずだった。
 だが、よくわからない。
「なんで?」
「………」
 単一の魔素が、恐ろしいほど大量に放出されている。
 普通、魔法というものは複数の魔素の相互干渉を利用してエネルギーを引き出すものである。単純に魔素をぶつけるような魔法の使い方は、非効率きわまりない。強いて言えば光条魔法に近いが、何の前触れもなくこんな強烈な光条魔法を使うというのも考えにくかった。
 さらに言えば、光条魔法ならもっと魔素の流れが均一であるはずである。ビームのような形状で放たれた光条魔法であれば、その逆側に散乱する魔素はあまりない。不揃いな散乱魔素が非常に多いことを考えても、光条魔法ではあり得ないのだ。
 だったら…?
「あ」
 セリカは、不意に元向いていた方に振り向くと、加速を開始する。
「気にならないの?」
「…」
「ボクは…別にいいけどさ」
 関所の方を向いたまま、ミュークは言った。




 ぺちゅ…ちゅるっ、くちゅ…
 コツ、コツ…
 粘液質の音と硬質の音が重なっていた。
 ガラスの窓に漆黒のカーテン。わずかに開けられた隙間から差し込んでくる陽光だけが光源だ。
 コツ、コツ…
 硬質の音の方は、暗闇の中で聞こえるときに概ねそうであるように足音だった。暗いところからシルエットが現れてくる。
「お楽しみの最中か…」
 男が声を掛けると、粘液質の音の方が止まる。
「やめていいなんて言ってないわよ。続けて」
「は…はい」
 ぺちゅ…ぺちゅ
 命令する声も、命令される声も女のものだった。そして粘っこい水音。そうすると、陽光の中に浮かび上がる二つの身体のシルエットの意味も明らかになってくる。片方は椅子に座っているような格好、もう片方はひざまづいて、顔を前に大きく出した格好。
「ったく…相変わらず好き者だな…」
「そんな事どうでもいいでしょ。で、なんなの?」
 動揺も興奮もしていない声が問う。
「ああ…」
 思い出したように男がうなずいた。
「そろそろ準備が整った。侵攻開始はいつでも出来る」
「そう…」
 気のない声だったが、多少の思考を感じさせる声になっていた。
「お前の判断に任せるが。内通している連中との連絡はすぐ取れるか?」
「それは問題ないわ」
「そうか」
「ただ、タイミングが欲しいわね。何か、きっかけが」
「そうだな…きっかけか」
「ほんの些細な事でもいいのよ。でも行動を起こすのを焦る必要はないんだから、有利な条件を待つべきよ」
「具体的には?」
「それはわかんないわ…だけど、何かあったらもっといいタイミングを待ったりせずに、すぐに動いた方がいいでしょうね。そんな事してたらいつまで経っても始まらないわ」
「わかった。お前の判断に任せる」
「情報の方は逐一お願いするわね」
「ああ」
「んふぅ…そこ、もっとして…」
 ぺちゅ、ちゅっ、ちゅっ…
「そう…もっとっ…」
 愉悦の声だった。
「おいおい…仕事の話が終わったら、すぐそっちに戻るのかよ」
「いいでしょ…ねぇ、今度また別のコ連れてきていい?」
「またか…いい加減こっちもやりくりつけるのが辛いんだぞ…」
「いいじゃない」
「そいつだって綾香様のすぐ下のヤツで、誤魔化して連れてくるのにさんざ苦労したってのに…もう飽きてやがる」
「このコに責めさせて遊ぶのよ」
 その瞬間、ひざまづいている少女の身体がビクッと硬直した。
「はぁ…わかったけどな、出来るだけ当たり障りないヤツを選べよ。お前の選ぶのって、なぜか連れてくるのに四苦八苦するようなヤツばっかなんだから…」
「私は好みのコ選んでるだけよ」
「しかし、4人もいりゃ十分だろってのに…はあ」
 闇の中に消えていく足音が、どこか力を失っていた。
「うん…ああ」
「ふ…ふぐっ」
 身体を動かす音が聞こえ、舌を動かす音が乱れる。
「何してるの。きちんとしなさい」
「う…ううーっ」
 揺さぶるような音は止まらなかったが、苦しそうな呼吸と舌を動かす音が聞こえ始めた。どうやら、舐めている少女の顔に秘部を押しつけ始めたらしい。
「あ、ああ…あっ」
 ぷちゅっ…
 椅子に座ったシルエットが、背もたれに身体をぐいっと押しつけて、ピンと全身を伸ばす。そのまま数秒間わなわなと身体を震わせると、ばたんと身体を元の状態に戻した。
「あ…」
 舐めていた少女は、顔に掛かっているものを拭う動作をする。最後の音は、ヴァギナから液体が勢いよく吹き出された音だったようだ。
「清めなさいよ。今拭いたのも全部舐めなさい」
「は…はい…わかりました…」
「いい子ね…葵、たっぷりご褒美あげるからね」
「うぅっ…」
 葵は屈辱に満ちた声を出して、それでもこくりとうなずいた。



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